足し算な広告

 

みうらじゅん氏が、自らブームを起こした

いわゆる「ゆるキャラ」について、

それは基本的に“足し算的発想”で作られている、

というようなことを書いておられました。

 

たとえば、ゆるキャラの代表格である

「けんみん文化祭ひろしま」のキャラクター

「ブンカッキー」などは、

「文化」という単語に広島名産の「牡蠣」を掛け合わせ、

そのうえアタマにはモミジをあしらい、

さらに手と胴体の部分をよく見ると広島の「ひ」になっているという、

見事な“足し算的”キャラであるわけです。

で、そのような「あれもこれも足し合わせた、洗練されてなさ」こそが

ゆるキャラの魅力であると、氏は語っています。

 

さて、地方自治体のマスコットキャラクターが

このような「足し算」で出来上がってしまうのは、

たぶん、多数決による加点法的な決定プロセス

原因があるのではないかと思います。

 

たとえば、キャラAには「文化」も「牡蠣」も「モミジ」も、

さらにはに「ひ」まで入っている。

キャラBは、文化のことだけを言っている。

キャラCは、動物をモチーフにしたかわいさ優先のキャラである。

もし最終候補に残ったのがこの3体で、

そこから多数決または合議制で1体を選ぼうとすると、

間違いなく「ポイント」の多いほうが勝ってしまう。

1つのことしか言えていないキャラより、

3つ、4つのことを言えているキャラクターのほうが、

選ばれるための「より明確な理由」を持っているからです

 

そしてここから広告の話になるのですが、

実はこれと全く同じプロセスが、

広告選びの局面においてもしばしば登場する。

つまり、たくさんの「言いたいこと」を、

より器用に盛り込んでいる広告が選ばれる傾向にある

ということです。

 

たとえば、最近始まったドコモの「アンサーハウス」。

アンサーというフレームを立ち上げた延長線上で、

今度は4つの新機種のことを言わなくちゃいけない。

じゃあ、4つの部屋がある「アンサーハウス」というものを作ってしまって、

そこにそれぞれ4人のタレントを登場させ、

4つの個性を表現しましょう、ということになる。

 

このお話、確かにストーリーとしては完成しているけれど、

それが「面白いか」と言えばそうではない。

これなどまさに“足し算的発想”で作られた広告の、

最たるものじゃないかと思うわけです。

 

要素を積み上げていくだけでは、

「外人のお兄さん」も「白い犬のお父さん」も誕生しません。

そこには必ず「飛躍」が必要です。

でもその「飛躍」こそが実は広告の面白味であり、

流行りのコトバで言えば、消費者の「情報バリア」を破るための

キッカケになったりする。

それに気付かないで相変わらずデータやら何やらから

CMを作ろうとするクライアントやクリエーターが、

残念ながらまだまだたくさんいるのが現状なのです。

 

 

と言いつつも、ゆるキャラはゆるキャラで

みうらじゅん氏によって脚光を浴び、

一躍人気者になってしまいました。

その意味では、いつか“足し算CM”がブレークする日が、

来ないとも限らなかったり、するのでしょうか。

 

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小室さんは悪くない

 

いや、まあ事実としては悪いんですけど、

個人的には「仕方ないんとちゃうの?」と

思える部分もあって。

 

たとえば、ワイドショーで

「小室容疑者は一時期たいへんに羽振りが良く、

何億の寄付をしたり、何億の別荘を購入したり…」

だとか、

「最近になっても散財を続け…」

みたいな話が一通り出ると、

大抵どこかのコメンテーターが

 

「絶頂期の頃の自分から抜け出せなかったんですかね」

 

みたいなことを言うわけです。

でも、ここがちょっと違うような気がする。

 

確かに、一般庶民の良識からすれば、

「お金があるときは使えばいいけど、

ないならないで節約しなさい」ということになる。

それはまったく正しいのですが、

逆に、そんな「一般的な」感覚を持ち合わせた人が、

数年間に10作も20作もミリオンセラーを出すような人に

なれるのか?という話です。

 

彼は凡人にはない才能やセンスを持っていたからこそ、

常識外のペースで、あれだけのヒットを飛ばし続けることができた。

そこは持てはやしておきながら、

生き方については庶民と同じ感覚を求めるなんて、

はっきり言って「ムシがいい」のでは、と思ってしまうわけです。

 

たとえばイチローが変人だとかいうけれど、

確かにそうなのかもしれないけれど、

だからこそ彼は我々には想像もつかない、

超人的な成績を残し続けている。

そんな彼の日常生活の部分にだけ

一般的な常識を持ち込んでも意味がないのと同じで、

小室さんだって、急にバランス感覚を求められても

困るんじゃないかと思うのです。

 

詐欺は良くないですよ、犯罪だから。

それはもちろん厳しく責められるべきです。

でも、天才というのは

常識的な発想が及ばないから天才なのであって、

その人の行動が常軌を逸しているのは当たり前。

その異常性を、犯罪の理由みたいにしてここぞとばかり叩くのは、

やっぱりちょっとおかしいと思うのです。

本当に叩くなら、売れてるときから叩くべきであって。

 

 

話は変わりますが、自分の周りを見ても、

「すごい人」って

やっぱりちょっと変人だったりするんですね。

目付きが違ってたり、寝なくても平気だったり、

家庭がうまく行ってなかったり ←大丈夫かこの発言

 

逆に私なんかは凡人の代表で、

それ故に自分の限界も見えていたりするから、

変人の「変人性」というのは、正直どこかで羨ましかったり、

どこかでリスペクトしてたりする。

 

だからこそ、今回の報道を見ていても、どこかで

「凡人が天才に何言うとるねん」

みたいに思ってしまう自分がいて。

それはそれで、歪んだ見方なのかもしれないですけどね。

 

 

 

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ありえない感情

 

広告の世界では、

しばしば以下のような

よく分からない言い回しが登場します。

 

「○○(ブランド名)は、いつも私のことを見てくれているんだ」

「○○は、いつも私の側で、私を応援してくれるブランドなんだ」

「私の毎日を、○○はいつもどこかで、支えてくれているんだ」

 

……こういう感情を消費者に抱いてもらうことで、

そのブランドのファンになってもらうこと。

これこそが、本広告の目的です!

 

プレゼンにしばしば登場するこうしたやり取りは、

ふんふんと納得されるか、

何となく聞き流されてしまうかのどちらかなのですが、

でも、冷静になって考えてみてください。

 

これまでの人生で、

何らかの商品に対して、

そんな感情を抱いたことがありますか?

 

「ポッキーは、いつも私のことを見てくれているんだ」

「ドコモは、いつも私の側で、私を応援してくれるブランドなんだ」

「私の毎日を、花王はいつもどこかで、支えてくれているんだ」

(※ここで使ったブランド名は適当です)

 

もし、本当にそんなことを考えながら生きている

女子高生や主婦がいたら、

その人はかなり気持ち悪い人です。

 

しかもその人が目にする広告が

たまたま「一業種一社」ならいいですが、

もし同じ日にドコモと、auと、ソフトバンクの広告を見てしまうと、

 

「ドコモだけでなく、auも、ソフトバンクも

いつも私の側で、私を応援してくれるブランドなんだ」

 

ということになり、

結局は広告をやる意味がなかったことになってしまいます。

 

普通に考えたらおかしなことが、

なぜか「もっともらしい話」として流通してしまう。

これが、広告という世界の奇妙なところです。

 

そもそも、誰かに対してそんな意識付けができるなら、

まずはじめにクライアントに対して

 

「電通は、いつも私のことを見てくれているんだ」

「私の毎日を、博報堂はいつもどこかで、支えてくれているんだ」

 

と思わせてしまえば、

余計な競合プレゼンもなくなって

いちばんいいんじゃないかと思うのですが。

 

 

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いいコピーを書くには

 

いいコピーを書くには、いいことを書こうとするんじゃなくて、

「いいことを考えること」が大事だと、

仲畑さんが書いておられました。

 

そうですね、まったくその通り。

 

コピーって、見た目とか、読んだ時のリズムとか、

俗に言われる「発見」的なことも大切だけど、それよりも、

書き手がクライアントを代弁して、

消費者にどんな想いを伝えようとしているのか。

その「本質」が、いちばん大切だということなのでしょう。

そのためには、考えなくちゃいけないと。

 

 

少し違いますが、政治家がよくしてしまう「失言」なども、

誤解を招く言い方をしてしまったことが問題なのではなくて、

実は本音のところで「そういう考え方」をしていること

問題なわけで。

 

「消費者がやかましい」にしても、

「原爆はしょうがない」にしても、「女性は産む機械」にしても、

結局は、その人が「そういうこと」を考えている、

ということが問題なのです。

 

 

だから、逆に考えると、

やっぱりいいコピーを書くには

いいことを考えなくちゃいけない、ということになる。

でも、いいことを考えるには、その人にそれ相応の深みとか、

知識とか、見識がないといけないわけで、

 

結局それって、今日明日でできることではないことを、

改めて思い知ることになってしまうのです。

 

 

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モンスター化する社会

 

学校や先生に過大な要求を突きつける、

いわゆる「モンスターペアレント」と呼ばれる人たち。

 

昔から「そういう」類の人は少なからずいたのかもしれないし、

「そういう」名前を与えられることで、

より社会的に認知されやすくなった、という側面もあるでしょう。

 

でも、やっぱりそれだけじゃないような気がする。

 

「学校と親」という関係においてだけでなく、

社会のあらゆる局面において、おそらく、

モンスターな人たちは

確実に増えているのではないか、と思うのです。

だとしたら、それはなぜか。

 

 

いま、世の中はあらゆる分野で高度化・専門化が進んで、

知識や技術を持っている「プロ」側の人々と、

それをお金を払って享受する「消費者側」の人々との差が、

どんどん大きくなってきています。

 

分かりやすい例で言えば「パソコンが壊れた」時。

説明書のさいごに書いてある

 

「コンセントが抜けていませんか?」

 

程度の原因ならともかく、通常は、

自力で直すなんてことは不可能でしょう。

 

「ケータイが壊れた」「ネットがつながらない」「クルマが壊れた」

 

故障の程度にもよりますが、

昔はお父さんか、少なくともご近所の中で何とか解決できたことが、

今は遠くの誰かに頼まないと、どうしようもなくなっているのです。

 

どこかに、すごく高度な知識を持った人たちがいて、

その分野のことは、その人たちにしかできないという「事実」。

 

これが日常生活の中で当たり前になるにつれて、

意識の中でも「プロ」と「自分たち」がはっきりと区別され、

「自分たちにできないことは、プロにお願いしましょう」

という発想になる。

 

そして、それがさらに進むと

 

「あなた方はプロなんだから、

何でも完璧にできるんでしょう?」

 

という、ある種の逆ギレにも近い発想に

行き着いてしまうという訳です。

 

 

「モンスターペアレント」しかり「コンビニ医療」しかり、

最近の消費者側とプロ側のあらゆる問題は、

このあたりに端を発しているような気がしてなりません。

 

とは言え、経済が成長する限り、

世の中の高度化と専門化は避けられないのだとすると、

こうした現象は、今後拡がることこそあれ、

決してなくなることはないのでしょう。

 

そう考えると、なんだかなぁと、

少し物悲しい気持ちになってしまったりもするのです。

 

 

ちなみに、広告業界においては、

たいていの会社は「モンスタークライアント」です。

こっちも、もう少し社会的な問題になってくれるといいのですが。

 

 

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おっさん広告賞

 

昨年の広告界は、

まさに「ソフトバンク旋風」が吹き荒れた一年でした。

 

白戸(ホワイト)家の一族、特に犬のお父さんは、

もはや社会現象と呼べるほどの人気者になり、

その効果もあってか、ソフトバンクは純増数で1位に浮上、

今もそれを維持し続けています。

 

もちろん、各広告賞でもソフトバンクCMは高く評価され、

まずTCCのグランプリが決定、

ACCはまだこれからですが、おそらく、これもグランプリを獲るでしょう。

と言うか、他にライバルが見当たらない。

 

と思っていたら!

 

やってくれました、「テレビ広告電通賞」。

 

選ばれたのは、「空白の一日」をテーマにした、

黄桜の企業CMでした。

 

江川卓と小林繁が28年の時を経て

初めて対面するというこのCM、

私も何かの番組でその制作過程を見たときには、

同じ広告人としての嫉妬や羨望、

一野球好きとしての驚きや感動、いろんな感情が入り混じって、

背中がゾクゾクっとしたのを覚えています。

 

だから、それが選ばれたことには、

個人的には何の異論もありません。

ただ、逆に言えば、電通賞だからそこまで評価された、とも言える。

それはなぜか。

 

広告電通賞の審査員は、名だたるクライアントの宣伝部長とか、

なんとか部長とか、そういった方がほとんどです。

つまり、簡単に言えば、

40代から50代の「おっさん」が選ぶ広告賞、

と言うこともできる。

 

その「おっさん」審査員にとって、「空白の一日」というのは、

間違いなくリアルな記憶の中にある出来事であり、

それが一杯の酒によって和解するという企画は

間違いなく「刺さる」設定だった。

よって、他のどの広告賞でもなく、「広告電通賞」において、

このCMは最高の評価を受けることとなったのです。

 

 

しかし、よくよく考えれば、もともと黄桜の広告は

「おっさん」に向けて発信されているものであり、その意味では、

広告電通賞でのこの評価は「期待通り」とも言えるでしょう。

 

そして、広告の評価なんてものは、

誰が見るかによって当然大きく変わってくるわけで、

その意味では、

「おっさんが選ぶ」「おっさんのための広告賞」

というものが存在したって、全く構わないと思うわけです。

 

 

ただ、それだったら名前は「広告電通賞」ではなく、

思い切って「おっさん広告賞」とかに変えたほうが、

いっそ分かりやすくていいんじゃないかと

個人的には思うのですが。

 

 

※ちなみに補足ですが、「黄桜」は、

グランプリではありませんがTCC賞も受賞しています。お見事。

 

 

 

 

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決定力不足と日本人

 

サッカーを観ていると、しばしば

「日本人FWの決定力不足」

なんてことが話題になります。

 

国際試合での印象は確かにそうですが、

普段のJリーグでも、得点ランキングの上位に

日本人FWの名前はほとんど挙がってこないのだとか。

でも、どうしてそんなことになるのでしょう。

 

私が思うのは、これはどうも日本人の

「国民性」から来ているのではないかと。

 

日本では、あらゆる成果において、

主役の人と同等、もしくはそれ以上に

 

「裏方さん」をきちんと評価しよう、

 

というような風潮があるように思います。

 

 

サッカーで言えば最後にゴールを決めたFWよりも、

その直前にキラーパスを出したMFのプレーに賛辞が送られる。

 

野球で言えば、タイムリーを打った選手と同じぐらいに、

その直前「右方向への進塁打」を打った選手が褒められる。

 

 

「縁の下の力持ち」の存在にしっかりと注目し、賞賛することで、

チームとしての和や、一体感を盛り上げていく。

また、そんな選手の生き様に思いを馳せ、共感する。

日本人とは、どうも、そういうことが好きな国民なのではないかと思うのです。

 

 

とか言いながら、私は他の国の国民性も知りませんし、

そもそもスポーツにおいて隠れた好プレーを評価することは、

国民性云々以外の、常識中の常識だと言う人もいるかもしれません。

 

しかし、中田ヒデとか、中村俊介とか、

小野とか、松井とか、遠藤とか、稲本とか、

MFでは一流と言われる選手がいくらでもいるのに、

FWでは何年経っても「決定力不足」が改善されないという現状を

冷静に見つめてみると、その背景には、

 

 

「裏方こそが美しいという美意識」

幼い頃からくり返し、くり返し、刷り込まれているうちに、

優秀な選手がみんなMFとして育ってしまう

 

というような事実が、

少なからず存在しているのではないかと思ってしまうのです。

 

 

そう考えると、決定力不足解消のためには

単純にもっと主役をほめよう」ということになるのですが、

日本人がそうしてガツガツし始めると、それはそれで嫌だなぁと。

 

むしろ、「決定力不足」という現象が

日本人の美意識から必然的に導かれる結果なのだとしたら、

サッカー選手だけのせいにしないで、

日本人全員で甘んじて受け入れてみるというのが、

 

実は意外と、正しい答えなのではないでしょうか。

 

 

 

 

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揺り戻し

 

少し頑張ってたCMが、ある日突然「普通」になったりすると、

あぁ、揺り戻しが来たんだなぁ、なんて思ってしまいます。

 

その典型的な例が「NTTドコモ

 

「手のひらに、明日をのせて」というスローガンも

どうかとは思いますが、それより何より、

それまでのTUGBOATがやってた路線から、

ものの見事に、それまでの「ドコモ」な感じに戻ってしまった。

 

こういう時、私はついつい、

その舞台裏である競合プレゼンの場を想像してしまいます。

 

おもむろに演説をはじめるクリエーティブディレクター。

 

「いま、ケータイを取り巻く環境は、

矢継ぎ早に投入される新機種や、各社似たり寄ったりの料金プランで、

すっかり疲弊してしまっています。

それにいたずらに追随することが、果たして、正しいことなのでしょうか?

本当にユーザーが望んでいることなのでしょうか?

 

ケータイの役目は、もっと根本的なところにあるはずです。

 

それは「人と人の心をつなぐ」ということ。

 

不安なとき、寂しいとき。ケータイはいつも側にいてくれる。

その「ケータイ」こそが、ドコモであるべきなのです!

 

もっとお客様の近くに。もっとお客様の心の中へ。

これこそが、いまドコモが発信すべきメッセージです。

 

さあ、いま一度、新しいロゴ、新しいスローガンとともに、

新しいドコモのスタートを切りましょう!

 

 

役員、号泣。

 

 

もちろん、そこまで簡単に行くはずもありませんが、

おおよそのストーリーは、間違っていないはず。

「今はちょっと良くないけど、あなたは本当はできる子なんだから!」

クライアントをほめていい気にさせるのが、

こういった競合プレゼンの、王道中の王道だからです。

私がやれと言われても、たぶん同じことをやるでしょう。

言われてないけど。

 

 

こうして、挑戦的なキャンペーンは、

よくて1年かそこらで、元の路線に「揺り戻し」されることになります。

いま、何を本当に伝えるべきなのか、

その「Answer」なんて、きっと誰も本気で考えてないのでしょう。

 

 

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オリエンが見える広告

 

「オリエンが見えてしまう広告」

というものがあります。

 

もう少し丁寧に言えば、まず見た瞬間、

表現として何か違和感がある。

何でこうなったのかな?と3秒ほど考えると、

その裏にある種のマーケティングというか、

オリエンにおける「仮説」がはっきりと見えてしまって、

すぐに興ざめしてしまう、というタイプのものです。

 

こう書くとさっぱり分からないので、具体例。

 

「味ぽん」のCMと言えば、唐沢寿明が家族と一緒に、

おいしそうなお鍋をつつくもの、と思い込んでいました。

特に目新しいことはなくても、それは冬の風物詩みたいなもので、

CMを見ると何だかお鍋が食べたくなる。

そんなものだと思っていました。

 

ところが!

 

いつも家族と仲良くお鍋をつついていた唐沢父さん、

なんと今年から、

単身赴任になっているではありませんか!

 

 

一人暮らしの部屋で寂しく一人鍋をつついて、

電話の向こうの家族と会話している。

確かそんなシーンだったと思います。

で、言っては何ですが、おいしそうでも何でもない。

さて、わざわざ家族を引き離さなければならない理由は

何だったんだろう?と考えると、

そこに「オリエン」が見えてくるという訳です。

 

 

ここから先は、あくまで推測の域を出ませんが、

おそらく、世の中的には少子化とか、核家族化ということがあって、

「家族で鍋をつつく」ということ自体が、

昔に比べて減っているのでしょう。

で、いつまでもそこを描いていてはいけない。

新しいターゲットを探しましょう、ということになる。

 

そういえば昨今の「おひとり様ブーム」みたいなこともあって、

1人、ないしは2人程度の少人数で鍋をするということが、

いま日本で新たなライフスタイルになりつつあるのではないか。

じゃあ、唐沢父さんを今年から単身赴任させましょう!

 

…おおよそ、そんな事情があったのではないかと

推測されるのです。

 

で、そんなオリエンによって生まれた広告は、

マーケティング的にはある種の仮説を

反映しているかもしれないけれど、

残念ながら、楽しそうでもおいしそうでもなんでもない。

それが、オリエンが見えてしまう広告」の正体なのです。

 

少し前に、あややが「午後の紅茶」のCMで

突然「実は低カロリー」と言い始めたときも、

ものすごく違和感がありました。

これなども、「オリエンが見えてしまう広告」の典型でしょう。

 

 

CMを作るときには、当然その「目的」があり、

同時にその裏づけとなるデータとか、仮説とか、コンセプトとかといった

分かりやすい判断基準が、

コンテと一緒について回ることになります。

 

でも、それをそのまま映像化すれば

目標が達成されるかと言えば、決してそうではない。

 

そのことに誰かが気付いてくれるだけで、

もう少し楽しいCMが作れるんじゃないかなと思うのですが。

 

 

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歴史的な采配

 

昨日の台湾戦、

ノーアウト満塁からのスクイズには本当に震えました。

 

セオリーから言えば、かなり「あり得ない」作戦です。

満塁からのスクイズはフォースプレーとなるので、

よほどいいバントをしなければホームでアウトになる確率が高い。

ピッチャー前の強いゴロなら、

最悪、ゲッツーになる可能性もある。

もちろん、空振りなどは言うまでもなく。

 

かつ、そこまでの危険を冒して成功させたとしても、

たかだか「同点」になるだけで、

1アウトを無条件に献上してしまう。

つまり、理屈の上では明らかに

「ハイリスク・ローリターン」な作戦なのです。

 

ではなぜあの場面で、

星野監督はスクイズを選択したのか。

それは、あの場面に限っては、

スクイズは決して「ローリターン」な作戦ではなかったから、

ではないかと思うのです。

 

 

勝てばオリンピック出場が決まるという世紀の一戦で、

1点のビハインド。そして7回、ノーアウト満塁。

選手の緊張も極限に達している状態です。

その場面において何よりも必要なことは、

その極度のプレッシャーから選手を解放すること。

それはすなわち、「まず同点」という状態を作り上げることに

他ならなかったのです。

 

事実、同点に追いついてからの日本打線は、

何かの呪縛から解き放たれたように打ちまくりました。

つまり、あの場面でのスクイズは、決して

1点を取りにいったものではなかった。

絶対に勝たなければいけない試合で

星野監督が咄嗟に決断した、

「ハイリスク・ハイリターン」な作戦だった、という訳です。

 

 

監督の采配には、相当な勇気と決断が必要です。

それが結果的に吉と出れば賞賛されるし、

失敗すれば叩かれる。そういうものだと思います。

ただ、同じ「勝ちにこだわる采配」でも、

岩瀬の継投に賛否両論が渦巻いたのに対し、

あの場面でのスクイズに異を唱える人はいなかった。

(かなり確率の低い作戦にも係わらず、です)

 

それは、決断の裏にある監督の想いを、選手の想いを、

それを見ている人みんなが感じ取ることができたから、

共有することができたから、ではないでしょうか。

 

 

今年もあまりいいことがない野球界でしたが、

最後に清々しい試合を見ることができて、

本当によかったと思います。

 

本当に、よかった。

 
 

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温暖化と消費税

 

地球温暖化とか、CO2の削減といったテーマが

最近のお仕事にはよく登場するのですが、

そのたびにいつも思うのが、

 

「環境の話と、増税の話は、似ている」

 

ということです。

 

何が似ているのか。

 

環境に関するいろんな資料には、

「身近なところからCO2削減!」といった話が

しばしば登場します。

たとえば、使わない電化製品のコンセントは抜く。

冷蔵庫の開け閉めの時間は、なるべく短くする。

お風呂は、追い焚きをしなくていいよう、

家族でなるべく続けて入る。

 

1つ1つは涙ぐましいほどの小さな節約ですが、

たしかに、日本人全員がこれをやれば、

全体でみればかなりのCO2が削減できるのかもしれません。

また、こういった身近なところから

地球環境への意識を高めていくのは、

すごく大切なことでしょう。

 

でも、どこか腑に落ちない。

 

そもそも一般家庭の人たちは、

電気代とか水道代の節約のために、言われなくても

涙ぐましい努力をしてることが

ほとんどじゃないだろうか?

 

そこに対して「まだ足りないよ」というのが、

何だか年貢の取立てのようで釈然としないのが

理由の1つ。

 

そしてもう1つ、

もし今、国レベルで、もうどこからも削減できないほど

あらゆる分野で省エネに取り組んでいるなら、

何を言われても少しは納得できるのですが、

実際はもっともっと大きなところで、

CO2なんていくらでも減らすことが

できるんじゃないのか?

 

ここからは素人考えですが、

たとえば、コンビニやレストランの24時間営業を規制する。

自動販売機の数量を20~30%程度削減する。

一般車両の高速代やガソリン代を上げるなどして、

そもそもみんながなるべくクルマに乗らないよう誘導する。

ペットボトルを廃止してリターナブルびんの利用を促進する。

 

「こんなこと」が実現すれば、

おそらくは冷蔵庫のあけしめ数億回分ぐらいのCO2が、

一瞬にして削減できることでしょう。

でも、「こんなこと」をしようとすると、

いろんな団体の、いろんな利害関係が絡むので、

きっと、というかまず確実に、実現しない。

 

それで結局、削減「しやすい」ところではなく、

削減「させやすい」ところから、削減しましょうという話になる。

 

…というあたりが、「消費税増税うんぬん」の話と

すごく似ているなぁ、と思ってしまうのです。

 

 

税金の使い道で、削減できる支出はいくらでもある。

でも、それをしようとすると、

各省庁やいろんな団体の利害関係が絡んでくるので、

そこはマスコミがいくら騒いだところで、ほとんど改善されない。

それで結局、「取りやすい」ところから、

取りましょうという話になる。

 

 

一般市民が細々と暮らしている裏で、

政治家や官僚たちは利権や税金を食い物にして

甘い汁を吸っている的な論調は、

あまりにも一元的過ぎて、本当は好きではありません。

 

でも、地球の気候がおかしくなっている、

なんていう非常事態に、

いろんなムダに見て見ぬフリをしながら、

 

「冷蔵庫の開け閉めの時間を短くしましょう」

 

なんて言われてしまうと、

さすがにそれはちょっと責任転嫁が過ぎないか、

というようなことを、思わずにはいられないのです。

 

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どうしてパクるのか

 
サントリー「モルツ」の新CMを見て、

思わず「えっ?」と声が出てしまいました。

 

引越しをしている「ぼく」が、大家さんとぶつかった拍子に

ダンボールの中の大量のカラーボールをこぼしてしまう、

というシーンがあるのですが、

実はこれ、クリエーティブをやっている人間なら誰もが知っている、

ソニー「ブラビア」の海外版CMにそっくりなのです。

 

これがパクりではなく、

CMプランナーのちょっとした遊び心なのだとしたら、

それほど問題はないのかもしれません。

実際、このボールをこぼすシーン自体は

ストーリーの中でそれほど大きな意味を持っている訳ではなく、

箱から何をこぼしてもいいのだとしたら、

海外の映像にちょっと似せてみるというユーモアぐらいは

あってもいいと私は思います。

 

でも、おそらくそうではないでしょう。

 

例えばそれが「古い映画のワンシーン」であれば、

パロディに気付いた人はクスッと笑ってくれるかもしれません。

でも、「直近の海外CM」に似せたからと言って、

喜んでくれる人がいるとは思えないからです。

 

さて、ここからは推測になるのですが、

 

広告の世界では、しばしばプレゼン時に、

海外のクオリティの高い映像を「資料」として

クライアントに提示したりします。

それでプレゼンに勝つところまではバンザイ、なのですが、

その「資料」が思いのほか気に入られてしまうと、

あとになって

 

「すみません、あれパクリでした(笑)」

 

と引っ込めるわけにもいかず、

結果、どこかで見たような海外の映像が

そのまま日本のCMとしてオンエアされてしまう、ということになる。

つまりは、この「モルツ」に関しても、

おそらくそういうことがあったのではないかな、と

ついつい推測してしまいたくなるのです。

 

とは言え、相手はサントリーさんなので、

そういうことも全部分かった上で、

パロディでやってる可能性も否定はできません。

それならそれで、逆に面白いと評価する人もいるかもしれません。

ただそれでも、CMプランナーの「プライド」と、

実際にCMを見てくれる「視聴者」が、

どこかに置き去りにされていることだけは、

やっぱり間違いないような気がするのです。

 

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年末の社会学

 

忘年会や新年会が重なるこの時期には、

大きく分けて以下の2タイプの人間を、

私たちは目にすることができます。

 

お酒を飲んで「酔い潰れる人」と、

それを「介抱する人」です。

 

さて、このうちどちらが幸せかと言えば、

間違いなく「酔い潰れる人」である、

と断言することができるでしょう。

 

大好きなお酒を楽しみながら、

上司の悪口を言ったり、

派遣社員さんのおっぱいを触ったり、

さんざん好き放題やっているうちに記憶もなくなり、

翌日、お昼過ぎに自宅のベッドで目を覚ます。

この場合、基本的には酒の席での出来事ということで、

多少の非礼はお咎めなしになる場合がほとんどです。

 

一方、介抱する側の人には、

お酒が「強い」人と、お酒を「飲まない」人という

2つの場合があるかと思いますが、

どちらにせよ、シラフであるが故に羽目を外すこともなく、

宴が終われば、当たり前のように

いろんな事項の後始末を任されることになる。

つまり「介抱する側」の人々とは、

「宴の楽しみは少なく」、「面倒くさい後処理は多い」

という、まことに気の毒な人々なのです。

 

 

おそらく、ビジネス一般においても、

日常生活においてもそうなのですが、

ストレスで体を壊したり、ノイローゼ気味になったりする

いわゆる「潰れて」しまうタイプの人は、

もちろん短期的にはすごく苦しいと思いますが、

そのぶん周囲からは気の毒だ、可哀想だと、

何かと同情の目で見られがちです。

 

しかし、たまたまストレス耐性が強いばかりに

「潰れる」ことのない人たちはと言えば、

自分のストレスに加え、周りから悩みを聞かされるストレスや、

潰れてしまった人たちを介抱するストレスなど、

実は2重、3重の苦しみを背負っていることが

多いのではないかと思うのです。

 

そして、何より不幸なのが、

忘年会の場合と同じく、「潰れた」張本人は

そのことに全く気付かないままでいる、

ということなのです。

 

 

私はお酒をあまり「飲まない」ので、

忘年会の例で言えばほぼ100%、

「介抱する側」に回ります。

これはずいぶん損な役回りじゃないか、と思う一方で、

そんな生き方もいいじゃないか、

自分の人生に与えられた役割だと思って

甘んじて受け入れよう、なんてことを思ったりもします。

 

でも、もし次に生まれ変わって

どちらかの人生を選べるとしたら、

絶対に「酔い潰れて」しまえるほうを選ぶだろう。

 

そんなことも、思ってしまうのです。

 

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「運」と出会う

 

一人のCMプランナーが

ある企画を「思いつくかどうか」というのは、

結局のところ「運」にかかっています。

 

もちろん、アイデアを練る過程では、

CMプランナー個々人の経験、技術、才能、センスなど

いろんな要素が影響しますが、

最後にそれが1つの「企画」として実を結ぶかどうかは、

たまたまそういうことを思いつくか、

思いつかないかというだけの話なのです。

 

分かりやすく言うと、

もし、山崎さんが「それ」を思いつかなければ、

あのホットペッパーのCMは生まれなかった。

もしその時体調が悪くて、

あるいは別の仕事が忙しくて、

「それ」を思いつく手前で企画をやめていたとしたら、

ホットペッパーのCMは今とは全く別のものになっていたはずです。

(もちろん、山崎さんクラスであれば

「別のもの」も相当のインパクトだったと思いますが)

 

だからこそ、クリエーティブは奥が深く、

その山崎さんが言うように、

「何年やってもラクにならない」ものなのでしょう。

 

 

ところで、この「運」による飛躍なしに、

「頭」で作りあげられた企画、というものも

世の中にはたくさん存在しますが、

そうした企画は、実際に映像にしてみると

どこか物足りない印象になりがちです。

 

例えば、トミー・リー・ジョーンズを起用した

いまの「BOSS」のシリーズなどは、

商品とターゲットの捉え方、キャスティング、

コピーワーク、世界観など、

細部にわたってすごくよく「考えられている」ことが

CM全体から伝わってきます。

ただそれ故に、表現の中にも作り手のロジックが

見え隠れしてしまって、

私などは見ているうちにどうしても冷めてしまう。

左脳で作られた企画は、実は視聴者にも、

左脳で受け止められてしまう、ということなのでしょう。

 

 

有名プランナー渾身の仕事でさえそうなのだから、

私たちのような一般の制作者が、

いろいろ悩んだ末に

ホットペッパー級の「運」に辿り着くのは、

きっと、並大抵のことではありません。

じゃあどうすればいいかと言うと、

 

…やっぱり、ただひたすら

考え続けるしかないのです。

それで出会えるのかどうかは、もちろん「運」ですが。

 

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アネハCD

 

うちの会社の、とあるCD(クリエーティブ・ディレクター)は

何かと残念なのですが、その理由のひとつに

 

「競合に勝つためならどんなコンテでも作る」

 

というのがあります。

 

例えば、それほど予算がないのに

ものすごいCGを使うことになっていたり、

30秒CMなのに45秒ぐらいのナレーションが入っていたり、

ということを平気でやってのける。

 

 

そういうコンテを出すと、確かに競合には勝てたりするのですが

(それはそれでクライアントも困ったものです)、

さて、それを基にCMディレクターが演出コンテを描こうとすると、

当然、辻褄が合わなくなる。

 

「これではCMが成立しないですよ」と指摘され、

じゃあ、監督の思うようにやってください、と言うと

これまた当然、企画コンテとは似て非なるものが出来てしまう。

それをクライアントに再度プレゼンすると

「話が違う」ということになり、

いつまで経っても話が前に進まない。

チームの士気は下がり、スタッフは混乱する。

 

プレゼン段階でのコンテの「うそ」が原因で、

事態はどんどん悪いほうに進んでいくというわけです。

 

 

と、ここまで考えて、

私はふと、ある人物の名前を思い出しました。

 

 

姉葉秀次元建築士。

 

 

そう、考えてみればアネハさんも、

クライアント(施工主)から仕事をもらうために

いい加減な構造計算書を提出し、

それがどうやって審査を通り抜けたのか

そのあたりの事情はよく知りませんが、

いつしかそれは彼のスタイルとなり、

クライアントからは定期的に仕事が舞い込むようになり、

結果として、消費者にとってはとんでもない建築物が

あちこちに出来上がってしまった。

 

この話と、とあるCDのスタイルというのは、

実は全く同じ構造になっています。

そこで私は、競合の勝ち負けを第一優先にして、

企画コンテの整合性をおざなりにするタイプのCDを

 

「アネハCD」

 

と呼ぶことにしました。

あなたの見たCMが「何か苦しいな?」と感じたら、

それは、アネハCDの仕業かもしれません。

 

とは言え、CDという仕事は、

制作にいくら混乱を来したところで逮捕されることもなく、

証人喚問されることもないので、

結局はいつまでも同じ方法で、

とんでもないCMが量産されてしまいます。

 

CMの良し悪しを数値化して、

第3者的に評価してくれる機関があればいいのですが、

「イーホームズ」の例を見る限り、

それもきっとすごく難しいんだろうなと

思ったりするのです。

 

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子供たちに新喜劇を

 

いじめを苦に、自ら死を選ぶ子供たち。

彼らの遺書の中には、その理由としてしばしば

「身体的特徴をバカにされた」

といった文言が出てきます。

 

自殺した本人にとっては

確かに苦痛だったのかもしれませんが、

子供の悪口なんて、大抵は

チビ、デブ、ブス…といった身体的特徴から始まるものです。

そんなことで傷ついていたら、

中肉中背の美男美女以外は

全員、自殺しないといけないことになってしまいます。

本人の性格やその場の状況にもよりますが、

本当は、悪口ぐらいで

いちいち悩んでいる場合ではないのです。

 

そこで。

 

子供たちには、ぜひ、小さいうちから、

「吉本新喜劇」を見せてあげて欲しい。

 

新喜劇は、それこそ身体的特徴いじりのオンパレードです。

辻本茂雄は、何もしていない時でも

「フランスパンを食べながら話をするな!」

と怒られ、

同じく烏川耕一も、何もしていない時に

口笛を吹くな」と怒られます。

浅香あき惠はいつ登場してもブスキャラで、

池乃めだか師匠に至っては、

60歳を過ぎているのに

「ボク」「ミクロマン」「小さいオッサン」です。

 

そうした「身体的特徴」は、欠点ではなく、

実は彼らを引き立てる「個性」であるということ。

そして、そんな「悪口」にへこたれず、

ギャグやノリツッコミで返すところに、

笑いが生まれ、コミュニケーションが生まれるということ。

そのことを、子供たちには新喜劇を見ることで、

肌で感じて欲しいと思うのです。

 

もともと関西には、多少のことなら

ギャグで返してしまう、という文化があります。

大人でいえば、離婚や借金だってネタになります。

それ故に、自殺してしまった子が関西の子だったりすると、

せっかくの「地の利」をなぜ生かせなかったのだろうと、

余計に悔しい気持ちになってしまうのです。

 

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善と悪

 

いじめを苦に、小学生や中学生が

自らの命を絶つという、

痛ましい事件が後を絶ちません。

 

これは、いじめた側について言えば、

(そこにどういう原因があったにせよ)

最終的には「死んで逃れたい」というところまで

相手を追い詰めてしまった、ということです。

その罪は、いくら償ったところで

償えるようなものではありません。

 

ただ、彼らが、本当に相手を

死に追い詰めたいとまで思っていたかと言えば、

おそらく、そうではないでしょう。

いじめた相手の死によって初めて、

相手が受けていたダメージの大きさに気付く、

という場合が殆どだと思います。

 

そして、それを敢えて別の視点で言い換えるなら、

いじめた相手に対して、

反省したり、謝罪したり、関係を修復したりする機会を、

相手の死によって一方的に奪われてしまった、

ということでもあると思うのです。

 

 

話は少し逸れますが、

前に中田英寿が自身のHP上で引退を発表したとき、

それまで彼に否定的だったマスコミが

こぞって彼の決断や生き様を称えるようになり、

共にワールドカップを戦った他のチームメートたちについては、

そんな中田の期待に応えることができなかった、

一様に力不足であった、とする記述が多くなりました。

彼が「引退」という最終的な決断を先に下したことで、

中田が善、それ以外が悪というレッテルが

くっきりと貼られてしまったのです。

 

このことと、自殺の話が同じだなどと言う気は

毛頭ありません。

ただ、死というものがそれと似た性質を

孕んだものであるということは、

やっぱり意識していないといけない。

 

死によって、すべての過程は0になり、

当事者たちは無条件に「善と悪」に分けられてしまう。

これは殆どの人が無意識にやっていることでもあり、

だからこそ、すごく恐ろしいことだと思うのです。

 

いじめられた側の苦悩に、

誰もが同情的になるのは仕方のないことでしょう。

ただ、そこに善と悪の関係を安易に持ち出すことは、

つまりは「死」を選ぶことで

世の中が味方してくれるという社会の性質を、

子供たちに繰り返し刷り込むことにもなっている。

 

そのことは、知っておかないといけないと思います。

 

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あの日の景色

 

このあいだ、

入社してから2年間住んでいた社員寮に

たまたま行く機会があったのですが、

その現地に着いた瞬間、

私は妙な違和感に包まれました。

 

「あれ?小さい・・・」

 

子供の頃通った小学校や通学路を

大人になってから訪れると、

建物や景色の小ささに驚いてしまう、というような話は

しばしば耳にします。

でも、私が社員寮に住んでいたのは22歳ごろの話で、

そこから身長が伸びたという実感もありません。

知らないあいだに一回り小さくリフォームした

という可能性も極めて低いでしょう。

 

と、それからしばらく経って、

今度は仕事で、新入社員の頃に研修を受けた

東京の旧本社ビルを訪れたのですが、

なんと、これがまたしても

 

「小さい…」

 

のです。

1階のロビーからエレベーターまでの距離も、

昔に比べて明らかに短くなっている。

これは一体、どういうことなのでしょうか。

 

 

そう、おそらくは今私が見ている風景が

「実際の」サイズなのでしょう。

逆に言えば、新入社員当時の私にとって、

周りの建物や風景、同僚や先輩たちは

きっと実際以上に「大きく」見えていたのです。

 

右も左も分からない、

この先どんな毎日が待ち受けているのかも

分からない、そんな不安や心細さが、

自分では気付かないうちに、

周りの風景を一回り大きく見せていた、

ということなのでしょう。

 

そんなことに気が付いて、

10年前の自分が、少しだけいとおしくなりました。

 

そして、昔通った小学校や通学路が

小さく見えるという話も、

もしかすると身長のせいだけではないのかも、

なんてことを、ちょっと思いました。

 

 

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韓国の想い

 

いろんなことをガマンして、

いっしょうけんめい尽くしてきた相手に

その思いが伝わらないと分かったとき、

人はすごくショックを受けるのだと思う。

 

だから、あの国が核実験をしたとき、

きっと韓国も、すごく悲しかったのだろう。

自分だけが理解者のつもりだったのに、

信じてもらえなかった、

心を開いてもらえなかった、

そんな気持ちでいっぱいなんだろうと思う。

 

それまでのいろんな努力が徒労に終わったとき、

その空しさは、相手への怒りに変わる。

それは当然のことだろう。

 

でも韓国の人たちは、心のどこかで、

あの国が悪いんじゃない、

周りのいろんな国がその原因を作ったのに、

自分たちは知らないふりをして、

あの国や、自分たちのやり方に責任を押し付けるなんて

絶対におかしいという気持ちも、

きっとどこかに持っている。

 

なぜなら、2つはもともと1つだったのだから。

もはや修復できない関係になっていても、

本当はまた一緒になりたいと、きっとみんなが思っているから。

 

運命のいたずらは、

時に誰もが望まない方向に時間を進めてしまうけれど、

いつかその不自然さが解消されて、

みんなが居心地のいい場所に戻れたらいいのにと思う。

 

水が、高いところから低いところへ流れるように、

ごくごく自然に、ゆっくりと。

 

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野球の神様

 

私は根っからの阪神ファンなので、

いくらか個人的な思い入れの強い文章であることは

承知の上で書くのですが、

 

もし、野球の神様というものが存在するなら、

今年は「阪神」を優勝させて欲しい、と強く願います。

 

今年のオールスター戦。

ファンのために150キロの速球を投げ続けた藤川球児は、

後半戦に肩を壊してしまい、戦線を離脱。

絶対的な抑えを失ったチームは、8月後半に5連敗を喫するなど、

首位中日に大きく水を開けられてしまいました。

 

そのオールスターを「怪我」で欠場した福留は、

直後の阪神3連戦で、計6打点、

3試合連続でお立ち台に上がるという大活躍を見せました。

そして現在も.350の高打率で、チームを牽引し続けています。

 

さらに、8月30日の甲子園、阪神対中日戦。

阪神1点リードの9回表2アウトから、

藤川の直球を捉えた井上の打球は、ライトスタンドへ一直線。

試合はそのまま延長12回、3-3の引き分けとなりました。

もし、藤川の肩の状態が万全なら、果たして井上はその直球を、

バットに掠めることができたでしょうか。

 

考えてみれば今年の野球界。

ボブ・デービッドソンの世紀の「誤審」に始まり、

そのチームを率いた王監督は病に倒れ、

野球漫画のようにファンを魅了し続けた新庄が引退を表明し、

各球団がその集客力に甘えている阪神に対して

「親会社が変わったから30億を支払え」という決定がなされるなど、

ことごとく、野球ファンを失望させる出来事が連続しました。

おまけに来期以降は、セ・リーグにおいても、

無意味なプレーオフが導入されることが決まっています。

 

だから、せめて最後ぐらいは、

正々堂々と戦った者どうしの日本シリーズが見たい、と願うのです。

もちろん、パ・リーグのプレーオフを勝ち上がるのは、

日本ハムであって欲しいと願っています。

 

 

今年一年、野球界の明るい話題はハンカチ王子だけだった、

ということのないように。

残り数試合、野球の神様の存在を信じてみたいと思います。

 

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マリオのように

 

最近、うちの会社によく原稿などを配達してくれる

自転車便屋さんがあるのですが、

その会社名が、私は大好きです。

 

「ビーダッシュ」

 

そう、おそらくはスーパーマリオの、

誰もが知ってるあの技のことを指しているかと思うのですが、

私はその会社名を耳にするたび、

自転車便の方がBボタンを押しながら、

一生懸命にダッシュしている姿を、

パックンフラワーや土管などのさまざまな障害にもめげず、

健気に目的地を目指す姿を連想してしまい、

何とも微笑ましい気持ちになってしまうのです。

 

そして、この会社に「ビーダッシュ」という名前をつけた人に、

私はいちコピーライターとして、

尊敬の念を禁じ得ません。

 

誰もが知っていて、

でも表面的な記憶からは消えかけているコトバを、

「自転車便」というビジネスと結びつけることで

コトバと会社、その両方に新たな命を吹き込む。

 

そう、それはまさに、

コトバとモノとの運命的な出会いをプロデュースする、

奇跡のキューピッド役とでも言える

仕事ではないかと思うのです。

 

 

あんまり気に入ったので、

どんな会社か調べてみようと思って、

YAHOO!で「ビーダッシュ」と入力すると、

なんといちばん初めに出て来たのは

大阪のホテヘルのお店でした。

(もちろん、この自転車便とは無関係です)

 

こちらのBダッシュも、つまり、

それぐらいのスピードで駆けつけてくれる、

ということなのでしょうか(笑)

 

コースメニューの中に

「パックンフラワー」

なんてのがないことを祈るばかりです。

 

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目黒の秋刀魚

 

目黒の秋刀魚、というお話があります。

 

目黒の町人の家の前を通りがかったお殿様。

その軒先で焼かれていたサンマのあまりの美味しさに驚いて、

お城に帰るや否や、家来たちに

 

 「同じものが食べたい!」

 

と命じるのですが、

家来たちは「お殿様がケガをしては大変」と、

すっかり小骨の1本まで取り去ってしまったものだから、

身はスカスカでおいしくもなんともない。

お殿様はそれを口にして一言、

 

「やっぱりサンマは目黒に限る」

 

とつぶやくのでした。

 

 

…という古典落語と似たような話、

実は広告業界にもしばしば登場します。

その場合、相手はお殿様ではなく、いわゆる「お役所」系、

つまり自治体や、電気、ガス、電話、鉄道などのクライアントを指します。

 

こういうクライアントを長年担当しているCD・営業になると、

「お役所系」特有のルールやチェック体制に

慣れきってしまっているせいか、

それこそ小骨の1本まで取り去るようなプレゼンをしようとします。

 

企画の尖った部分はすべて事前にカドを取り、

ネガティブな意見によって落とされることがないよう念入りにチェック。

企画書は、普通のゴシック体で普通にレイアウトして、

余計なところで目立っていると思われないよう、なるべく控えめに。

つまり、普通の企画を、なるべくつまらない体裁でプレゼンすることを

「良し」とするわけです。

 

でも「お殿様」は、本当にそんなプレゼンを望んでいるのでしょうか?

お殿様が気分を害することのないよう

細部にばかり気を配った提案より、

お殿様の抱えている悩みを本気で解決しようという提案があれば、

そのほうが何倍も嬉しいのではないでしょうか?

 

小骨をすべて取り去った提案は、

お殿様をケガさせることはありませんが、

決してお殿様を喜ばせることもできない。

 

そんな単純な事実を、もう少し大事にしてもいいんじゃないかな、

なんて最近はよく思うのです。

 

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プランナーの限界(改)

 

テレビを見ていると、

CMプランナーや演出家が一生懸命に考えて、

何とか「面白くしようとした」広告に、

しばしば出くわします。

 

そして私は、そんなCMを見るたびに、

何とも言えない、ある種の「痛々しさ」

感じてしまうのです。

この感情の正体は、いったい何なのでしょうか。

 

 

世の中には、「面白いもの」を作り上げることを

本気で商売にしている人たちがいます。

お笑い芸人、役者、放送作家、脚本家、映画監督…

とにかく才能あるいろんな職業の人たちが、

 

それこそ生きるか死ぬかという厳しい競争の中で、

日々笑いのために鎬を削っている。

 

 

そんな彼らの芸や作品が、

マスコミを通じて、様々な形で、かつ大量に流通しているところに、

一介のCMプランナーが頭で考えた「面白いもの」が

丸腰で勝負を挑んだところで、

本来、勝てる筈はないのです。

 

ところが、当のCMプランナーだけが、

そのことに気付かないまま

一生懸命に頑張ってしまっている。

 

 

これは例えて言うなら、

それほど面白くない一般の素人が、

芸人だらけのコンパの席で

無理に笑いを取ろうとしているようなものです。

 

できないならできないと割り切って

「広告」に徹したほうが、

プロの仕事としてははるかに格好いい。

それが「真実」ではないかと思うのです。

 

 

とは言え、もちろん、全てのCMがつまらない訳ではありません。

才能ある人が、クライアントを巻き込んで、

綿密に計算して作り上げた15秒(30秒)は

下手なコントより面白いことだってあります。

 

ただ、そういった例は本当にまれで、

大抵は、商品情報をあれもこれも入れた上で、

しかもそれほどセンスのない人たちが、

会話や演出だけで何とか「面白く」しようとしている。

 

その無理が見えてしまうからこそ、

CM全体が、どこか痛々しく感じられてしまうのでしょう。

 

 
 

「牛乳に相談だ」のCMを見て、

ついそんなことを考えました。
 
 

 

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ルーティンの恐怖

 

これから続いていくであろう毎日に対して、

どうしようもなく「怖く」なってしまうことがあります。

 

これから自分は同じような仕事を続けて、

同じような生活パターンを繰り返して、

仕事でも、家庭でも、背負うものばかりが大きくなって、

それらに追われているうちに、

気がつけば定年を迎えているのではないか、と。

 

広告の仕事をしている人間が

こういう不安を口にするのは、

きっと、厚かましい部類に入るのでしょう。

なぜなら広告の仕事というのは、

日々飛び込んでくる新しい商品、新しいオリエンに対して、

常に新しい企画で応えていくものだからです。

そこに「ルーティン」の要素は限りなく少ない。

 

仕事面では限りなく恵まれているにも関わらず、

街で見かけるほとんどの「お父さん」がそうしているような、

あるいは自分の父親もきっとそうしていたような

ある種のルーティンな日常に身を置くことに、

私の場合はどうしても「恐怖」を感じてしまう。

 

でも本当は、牢屋にでも入らない限り、

ルーティンな日常なんてものは存在しないはずなのです。

 

毎日の喜怒哀楽。

いろんな人との触れ合い。出会いと別れ。

いい本に出会えたこと。いい音楽を聴いたこと。

ごはんがおいしかったこと。

あるいは、季節の変化だけをとってみても、

それがどんなに日々を繊細に彩ってくれているか、

少し注意していればすぐに気付けるはずです。

 

…と、そこまで分かっていながら、

やっぱり冒頭の不安に立ち返ってしまうのは、

「いま」自分が置かれている状況のせいなのでしょうか。

それとも、単に私自身の性格のせいなのでしょうか。

 

そして街のお父さんたちは、

実は私と同じような恐怖を、

どこかに抱えていたりするのでしょうか?

 

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不思議な国民性

 

亀田興毅-ランダエタ戦での微妙な判定に、

6万件もの抗議が殺到した、というニュース。

 

考えてみれば、ものすごく不思議です。

 

判定が僅差であれ、何であれ、

日本人の若武者が外人のチャンピオンに勝利し、

見事タイトルを奪取したわけです。

 

力道山の昔からそうだったと思うのですが、

本来、体格で劣る日本人が、格闘技で外人に勝つというのは、

それだけでも胸がすくような、

清清しい出来事であることは間違いありません

 

それなのに、勝った日本人のほうが

 

「あの判定はおかしい」

 

「ランダエタ選手に申し訳ない」

 

という反応になってしまう。

 

これはやはり、日本人という民族が、

「公平でない、卑怯である」と感じることに関して

どうしようもないぐらい、

居心地の悪さを感じてしまうからなのでしょう。

ズルをして勝つぐらいなら、負けるほうがいいと。

 

「国家の品格」の中で藤原正彦氏が書いていた

「武士道精神」というものが、

なるほど、確かに今でも日本人の中に根付いているのだなあと、

改めて実感させられたような気がします。

 

ナショナリズムより「公平さ」が優先する日本人。

 

その類まれな才能が発揮されるべき場所は、

スポーツの判定だけでなく、

実は世界中にもたくさんあるのではないでしょうか。

 

各国の利害がぶつかるばかりで、

民間人が何人死んでいても停戦決議すら採択できない

中東のニュースを見て、

ふとそんなことを思ってしまいました。

 

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カンヌ症候群

 

広告業界で「カンヌ」と言えば、

「カンヌ国際映画祭」ではなく、

「カンヌ国際広告祭」のことを指します。

 

「今年のカンヌは今いちだったね~」

とか、

「俺今年でカンヌ3回目なんだけど~」

というような会話を、

そこかしこで繰り広げたりするわけです。

 

さて、この「カンヌ」に、

日本の広告クリエーターがわざわざ出向き、

現地の雰囲気を肌で感じて帰ってきたりすると、

大体の場合、次のようなことを言い始めます。

 

 

「アイデアのない広告はクズだ」

 

 

実際、カンヌでは、

アイデアのあるなしで広告が厳しく審査され、

つまらない作品に関しては容赦なくブーイングが飛んだりします。

 

その西洋的明快さの中に身を置いてみると、

おそらくは誰もが、

「アイデア」というものが持つ純粋な価値に

魅せられてしまうのでしょう。

 

ただ、ここで考えておかないといけないのは、

世界中のクリエーターを唸らせるような

「アイデア」というものを、

果たして、世の中の人は求めているのだろうか、

ということです。

 

むしろ、純粋に商品のことを知りたい時に、

よく分からない「アイデア」を見せ付けられるというのは、

意外と苦痛だったりするのではないでしょうか。

 

広告がつまらなくてもいいとは思いません。

私自身も、自分が企画に携わる時には、

単なる商品情報だけではなく、

それを見た人がほんの少し幸せになれるような「仕掛け」を、

どこかに入れておきたいと常に思っています。

ただ、あくまでも主役は「商品」であることを

ちゃんと意識していないと、

結局それは「広告の形をした、よく分からないもの」

なってしまいかねません。 

 

広告に「アイデア」は、もちろんあったほうがいい。

でも、それが「カンヌ」という妙な基準を従えて

ぐんぐん全面に押し出されてくる時に、

実はそれって

単なるクリエーターのゴリ押しなんじゃないかと、

ふと立ち止まって後ろを振り返ってみる勇気も、

時には必要ではないかと思うのです。

 

 

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少子化と三国志

 

政治のことはよく分からないので、

今ここで、酔っ払った新橋のサラリーマンのように、

小泉さんや官僚たちのやり方を

声高に批判するつもりはありません。

 

ただ、そんな私にも、

これだけはどうもヤバいんじゃないか

可及的速やかに解決しないといけないんじゃないか、

と思える問題が、2つあります。

それは、

 

「少子化」

 

 

「食糧自給率の低下」

 

です。

 

この2つの問題は、

簡単に言えば(すでにじゅうぶん簡単ですが)

 

「人口が減って」

 

「食べるものがない」

 

ということです。

そう聞くだけでも、一国の将来に関わる、

かつ一刻を争う大問題であるような気がしてなりません。

少なくとも、靖国神社に誰を祀るの祀らないの、という話と比べたら、

はるかに重要な問題であることは

子供の目にも明らかです。

 

そして、この考えが正しいことは、

「三国志」「信長の野望」を思い出してみれば、

誰でも簡単に納得できるでしょう。

 

 

これらのゲームにおいて、君主であるプレーヤーが

まずいちばん最初にしなければいけないことは、

 

「かいこん」

 

をして土地力を上げ、収穫を増やすこと。

そうして、徐々に国力を蓄えていくことで

 

「人口」

 

を増やし、それによって初めて、

安定した税収や、徴兵のための兵力を確保することが

可能になるのです。

 

そこを疎かにしている今の日本が

慢性的な財政赤字から抜け出せないのは、

三国志的な見地からすれば、

ごくごく当たり前のことなのです。

  

逆に言うと、今の日本の政治は、

「かいこん」や「まちかいはつ」をなおざりにして、

いきなり

 

「駆虎呑狼の計」

 

のような難しい計略を仕掛けたり、

馬休のようなどうでもいい武将を

引き抜いたりしているような状況です。

これでは、政治がうまくいくはずがありません。

 

安倍さんにせよ、福田さんにせよ、

次に首相になる方は、

一度これぐらいの基本に立ち返って

政治を考えてみるといいんじゃないか、と思ったりします。

あと欲を言えば、こうした政治家の能力が

  

「武力:52 知力:86 政治力:70」

 

とパラメーターで表示してあれば、

次に誰を選べばいいか、

とても分かりやすくなるのでは、と思ったりもします。

 

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個人のチカラ

 

阪神の話ついでにもうひとつ。

 

阪神ファンのための携帯サイト、というのが

いくつかあるのですが、

その中で最近、私が特にお気に入りなのが、

スポニチが運営している

 

「スポニチ夢阪神」

 

というサイトです。

 

このサイト、とにかく中身が普通じゃない。

 

例えば、試合速報のページで言えば、

普通は結果だけが更新されていくものなのですが、

「スポニチ夢阪神」では、こんな感じになる。

 

「さあ、赤星。ここはバントでも何でもええから

出塁しときまひょ。

1球目、外角ボール。2球目、カーブでストライク。

なんかやらしい攻め方やなぁ。3球目、赤星打った、

三遊間!を井端がナイスキャッチ。

いらんことすな~

 

明らかに担当記者の感情が入りまくっていて、

まるで居酒屋でオッサンの実況を聞いているような

感じなのです。

 

同じ記者が書いていると思われる

「オリジナル選手名鑑」というのも

やっぱり同じような調子で、

個人的な思い入れや、愚痴、選手への注文などが、

言わばスポニチの「公式文書」として、

関西弁で堂々と掲載されている。

長くなるので引用はしませんが、

これは本当に面白いので、阪神ファンの方にはぜひ、

マイメニュー登録をしてでも見て頂きたい!

 

 

と、ここまで書いて気がついたこと。

 

私が見ているのは

「スポーツニッポン」社が作っているサイトですが、

私はその中の、

ちょっと変わった担当記者の文章や個性に惹かれて、

そのサイトを愛読(?)している。

つまり「スポーツニッポン」というブランドではなく、

あくまでもその「個人」を指名買いしている、

ということです。

 

逆に、もしこのサイトの担当記者が

変わってしまったら、

私が見るのは別に「スポニチ夢阪神」でなくても

よくなるかもしれない。

そう考えると、ブランドよりも、時には個人のチカラのほうが

大きいんじゃないか、とすら思えてくるわけです。

 

長年、会社の中で過ごしていると、

自分自身に「コピーライター」という肩書きはついていても、

実際は「私」の上に付いている「会社」の看板で

仕事を受注し、プレゼンし、納品するということが

いつの間にか当たり前になっていたりします。

 

でも、本当はもっと「個人」でなくちゃいけない。

 

と言うより、会社の中にいても、

個人を指名買いしてもらうことは十分可能だし、

そうなるように努力しないといけないし、

逆に会社とは、そういう個人の集団でなくてはいけない。

 

というようなことを、いつもの試合速報を見ながら、

何となく考えていました。

 

というわけで、

阪神の情報が分かるだけでなく、

仕事の本質まで教えてくれる

「スポニチ夢阪神」。

皆さんもぜひ一度、

マイメニュー登録をしてご覧ください。←なんじゃそら

 

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そこまで言うなら

 

正直、今年の阪神は優勝しなくてもいいと思っていました。

 

レギュラーは固定されていて、顔ぶれも去年とほぼ同じ。

それに何より、バントなし、エンドランなし、

赤星以外は盗塁もなしで、

打てばいいけど打たなきゃ負けるという今の岡田野球が、

いち野球ファンとしては非常につまらないからです

 

だったら、古田兼任カントクのヤクルトが優勝して

お祭り騒ぎになってくれたほうが、

よほど野球界全体としては面白い。

本心で、そう思っていました。

 

でも、その考えは改めます。

 

阪神は、今年、何が何でも優勝しなければなりません。

 

なぜなら阪神は、親会社が変わったという理由で、

プロ野球機構だかどこかに、

30億円もの「保証金」を支払わないといけないからです。

オーナー会議でそう決まった以上、従わざるを得ないらしい。

 

しかし、どう考えても理不尽です。

 

阪神は身売りしたわけでも、

親会社ごと買収されたわけでもありません。

ただ、村上ファンドに振り回されて、

阪急と経営統合という道を選択せざるを得なかった。

その事情を、誰もが知っているはずなのに、

 

「協約にそう書いてあるから30億円払え」

 

という乱暴な決定がなされてしまう。

 

厳密にルールに従えばそうなってしまうのか、

阪神という人気球団に対するやっかみなのか、

阪急という企業に対しての不信感があるのか、

その理由はよく分かりません。

ただ、そもそもが「被害者」であるにもかかわらず、

いま日本でいちばんファンから愛されている球団が、

よく分からない理由で30億ものお金を払わないといけない。

そんな決定を安易に下す他球団のオーナーたちに、

強い憤りを感じるのは、私だけではないはずです。

 

というわけで、今年の阪神は、

やっぱり何が何でも優勝しないといけません。

優勝して、30億を優に超える経済効果を、

自分たちの手で創り出してやろうではありませんか。

もう、つまらない野球でも何でもいい。

優勝して、もっとつまらないオーナーたちのハナを

あかしてやろうではありませんか!

 

 

…それにしても、やっぱり30億はちょっと、高すぎます。

せめてその一部を、年俸2億4千万の片岡で払うというわけには、

いかないものでしょうか。

 

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壮絶な人生

 

都会で暮らしていると、

自分と関係のない「他人」に関しては、

誰もが恐ろしく無関心になってしまいます。

 

同じ電車に乗っていても、

同じレストランで食事をしていても、

同じマンションに住んでいても、

仕事や趣味を通じての関わりがなければ、

それらはみんな「他人」であり、

ともすれば「風景」でしかなかったりします。

 

そんな状況に慣れっこになっていると、

つい、一人一人の人生に対しても

無関心になってしまう。

 

本当は、いま電車で隣に座っているおじさんにも、

両親がいて、家族がいて、友達がいて、同僚がいて、

趣味や特技や、好きなお酒や食べ物があって、

少年時代や学生生活を通じての数々の思い出があって、

その時々に悩みや、失恋や、数々の挫折があって、

 

そうしたいろんなものが全部合わさって、

このおじさんの人生が作られているのだけれど、

そんなことに思いをめぐらせることはありません。

と言うか、いちいちそんなことを考えていたら

面倒くさくて仕方がない。

 

でも本当は、そうなのです。

それを知ることは一生なくても、

本当は、一人一人が、その人を取り巻く環境の中で、

壮絶な人生を生きている。

そういう事実があることだけは、

ちょっとだけ、心のどこかに留めておいても

いいような気がするのです。

 

友人が日記に書いていた、

人身事故のアナウンスに舌打ちするサラリーマン。

自爆テロで5人が死亡しましたと、事実だけを伝えるニュース。

それらに触れたときに、何か違和感をおぼえるような、

そんな感覚だけは、人として最低限、持っていたいと思うのです。

 

「嫌われ松子の一生」を観て、そんなことを考えました。

 

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切ない広告賞

 

多くの人にとっては関係のない話なのですが、

広告業界では、

すぐれた広告表現に対して与えられる

いくつかの「広告賞」というものが存在します。

 

最近ならホットペッパーとか、

サントリーのアミノ式・伊右衛門などがその常連ですが、

つまり、インパクトのある表現で

世の中を動かした広告に対して、

 

「あれは良かったね~、おめでとう!」

 

という気持ちを込めて、

その制作者、およびクライアントに

賞が授与されたりするわけです。

ここまでは、まあ分からなくもない話。

 

ところが、この「広告賞」が

業界内ではそこそこの権威を持っているところから

少しずつおかしな話が生じてきます。

 

具体的に言うと、 

初めからこの広告賞だけを狙った広告を作って、

どこかで申し訳程度にオンエア、または出稿をして、

それで賞を獲ってしまうクライアントや制作者が、

毎年のように出てくるのです。

 

これは、他の業界で言えば、

「カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するために、

優れたクルマを1台だけ作って発表するようなものです。

世の中のほとんどの人が知らない表現が、

どれだけ売り上げに貢献したかも分からない表現が、

審査員の中では評価され、賞を獲ってしまうのが

広告という業界なのです。

 

ま、それが一概に悪いこととは言えません。

世の中的にメジャーではないけれど、

少ない予算の中で頑張っている広告、というのも

一方では存在するからです。

ただ、上に書いたようなことをするのは、

えてして、お金のあるクライアントだったりする。

そんな現状を見ると、ちょっと切ないなぁと、

思ってしまったりもするわけです。

 

広告業界にのみ向けて作られる、

広告賞のための広告。

でもその制作費を捻出するために、

いったいどれだけの営業マンが汗を流しているか。

本当は、知っておかないといけないのだと思います。

 

 

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小さいことにくよくよするな!

 
コンビニの本棚でたまたま見かけた
 
 
「小さいことにくよくよするな!」
 
 
という本を買ってみました。

ええ、ちょっと最近

クヨクヨすることが多かったので。
 
 
内容のほうは、

それを買ったことにクヨクヨしてしまいそうな

ちょっと残念なものでしたが

(まあ、コンビニ本にそこまで期待してはいけない)、

それでも1つだけ、好きな言葉を見つけたので、

忘れないうちに書いておきます。

 
(以下、本文まま)
 

……私は長いこと、

本物の人生はこれから始まると思って過ごしてきた。

だが、いつも何かに邪魔をされてきた。

先に片づけなければならないこと、

やりかけの仕事、借金の返済。

それが終わったら、本当の人生が始まるのだろう、と。

やがてついに、私は悟った。

こういった邪魔ものこそ、私の人生だったのだ……。

(アルフレッド・D・ソウザの言葉) 


 
 
これは救われるための言葉なのか、

観念するための言葉なのかは

よく分かりませんが(笑)、

少なくとも、人生の本質を突いた

いい言葉だなと思いました。

だって実際、仕事のせいで何もできないと

ボヤいている時ほど、

いざ時間ができたところで

やっぱり何もできないということが

多いじゃないですか。←なぜ同意を求める
 
 
つまり、仕事や日常生活以外の「何か」なんて

そもそも大した存在ではないわけで、

だったら仕事や、日常生活そのものを楽しんだほうが、

人生、有意義に過ごせるというものですよね。

……というようなことを、

この一説から学ばせて頂きました。

お、意外とためになっているではないか。
 
 
しかし、今回の文章もそうなんですが、

このブログのテーマは、実は
 
 
「つまらない仕事を前向きに捉える」
 
 
ことに集中している気がします。

どうも、自分自身に言い聞かせてるような

気がしてならないのですが。

 
 

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理想と現実

 

「萌え系」などの言葉で表される、

アニメの中の美少女たち。

 

「ねぇお兄ちゃん、一緒にプールで遊ぼうよ~」

 

こんな妹がいれば確かに夢のようすが

それはあくまでも、

ゲームやアニメの中で描かれる

「理想」または「妄想」であって、

現実の女性とは全く別物である。

そのことをちゃんと分かっていないと、

間違いなく、痛い目に合ってしまいます。

 

これと似たような例を、

最近、さらに身近なところで

見つけてしまいました。

しかもこちらは恋愛どころではない、

生きるか死ぬかに関わる事例です。

 

その事例とは…

 

 

くまさん。

 

 

くまさんというキャラクターは、

絵本やアニメなどの中でも、

しばしば大きくて優しい、

愛すべき存在として登場します。

はちみつ大好きなプーさんもそうです

テディベアーもくまさんです。

森のくまさん女の子が落としたハンカチを

わざわざ走って届けてくれたりします。

 

でも、現実のくまさんは、

そんなイメージとは全くかけ離れています。

 

森で出会ったが最後、

そこにはすでに

生命の危険が迫っているのです。

 

くまさんはあくまでも、

絵本やアニメの中で描かれる

「理想」または「妄想」であって、

現実の熊とは全く別物である。

そのことを、特に子供たちには、

どこかのタイミングで

ちゃんと教えてあげなければいけません。

そうでないと、実際に森で出会った時、

大変なことになってしまうからです。

 

ま、幸いにして今のところ、

それを知らなくてひどい目に遭った、という話を

聞いたことはないのですが。

 

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村上ファンドの目的

 

ニュースや新聞を見ていて

どうも腑に落ちないのが、

 

「村上さんは、何のために

あそこまでしてお金を稼ぐのか」

 

ということです。

 

別に阪神の株を買おうが、

シンガポールに移転しようが構わない。

ただ、その理由が知りたいのです。

理由と言っても、

 

「優良な含み資産を持つ不動産を証券化して…」

 

みたいな、新聞紙上で語られる理由ではありません。

知りたいのは、素人でも分かる明快な「理由」です。

たとえば、

 

「どうして投資ファンドを始めたのですか?」

 

「長年苦労をかけた母に、

ラクをさせてやりたかったからです」

 

これなら、誰も彼のことを責めないでしょう。

どこまでラクさせれば気が済むんだ

というツッコミもあるかとは思いますが、

少なくとも「理由」が分かることで、

私たちはスッキリします。

 

別に親孝行でなくたって構いません。

 

「砂漠に緑を取り戻したいんです」

 

「太平洋と日本海を桜で結びたいんです」

 

「日本中の小学校にとび箱を送りたいんです」

 

これだけで、ほうら、あの村上さんが、

とてもやさしい人に見えてきました。

逆に、こうした目的が見えないから、

どこか素人には、胡散臭く、悪いやつに

見えてしまうのではないでしょうか。

 

稼いだお金を、

何らかの「成果」や「目的」と結び付けないと

納得できないのが、

そもそも素人の発想なのかもしれません。

でも、私のような凡人には、

バイクを買うため、ハワイ旅行のため、

月一回の外食のために

一生懸命お金を稼いでる人たちのほうが、

なぜか、よほど幸せそうに見えてしまうのです。

 

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プロ論

 
先日、新大阪駅のキオスクで、

フリスクと何かと、合わせて500円ほどの買い物を

したときの話です。
 
 
財布の中には小銭がなく、

お札が五千円と千円。←そもそも大丈夫かいな

ここで千円を使ってしまうと、

出張先でタクシーに乗るとき

嫌な顔をされるかもしれない。

でも、キオスクの人だって、

少額の買い物で大きなお札を使われるのは、

お釣りが足りなくなったり、何かと不都合だろう。
 
 
そんなことを考えて千円札を出そうとした時の、

一瞬の躊躇を、おばちゃんは見逃しませんでした。
 
 
「五千円でもいいですよ」
 
 
正直、これは助かると思いましたが、

親切にはこちらなりの親切で返したくなるのが

人情というもの(?)
 
 
「あ、大丈夫です」
 
 
そう言って千円札で支払いを済まし、

何事もなくキオスクを後にしようとした

その時です。

おばちゃんが私を呼び止めて、一言。
 
 
「その五千円も、くずしましょうか」
 
 
…何という気遣いなのでしょうか。
 
 
今の今、五千円での買い物をこちらから断って、

千円で買い物を済ませたばかりなのに、

おばちゃんは私の手元に残った五千円札を、

次のどこかでの支払いのために、

わざわざ両替しようとしてくれたのです。
 
 
今度は逆に断るのが申し訳なくなって、

その申し出に甘えることにしました。

そして、私はそのとき、
 
 
「ああ、この人は本当のプロだ」
 
 
と思いました。
 
 
一人の客の数百円の買い物、

普通にこなせばそれで済む話です。

と言うか、何か特別なことをするほうが難しい。
 
 
そんな局面で、客の一瞬の躊躇を見抜いて、

できる限りの最大限の対応をしようとする姿勢。

もちろん、おばちゃんがそんな難しい理屈を考えているはずもなく、

ごくごく自然な親切心だと思うのですが、

かと言ってすべての店員さんが

そんなことを自然にできるかと言うと、そうではない。

その意味でこのおばちゃんは

本当のプロだなぁ、と感じたのです。
 
 
世の中には、難しい仕事や、

人に羨まれるような仕事がたくさんあります。

でも、大事なのは何の仕事をしているかではなく、

自分に与えられた仕事の中で、

どれだけ自分なりの誠意を尽くせるか、

なんだと思います。

「生協の白石さん」のコラムでも

同じようなことを書きましたが、

そんなことを改めて実感した出来事でした。
 
 
 
最後に、キオスクのおばちゃん、

この場を借りて、本当にありがとうございました。

(絶対に見てないと思いますが)

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こじつけない(2)

 

たとえば、「アットローン」のCMでは、

高橋克典が「ラーメンの味付けのバランス」

を褒めたあとに、

「ローンも大事なのはバランス」

と続けます。

 

また、「モビット」のCMでは、

竹中直人の名刺のサイズが

明らかにおかしいことにひっかけて、やはり

「ローンも大事なのはバランス」

と続きます。

 

バランス」のたとえ話を入り口にして、

CMの最後でメッセージに落としている。

 

おそらく制作者の意図としては、

 

「普通にやると生々しいお金の話を、

ユーモア溢れる比喩を用いることによって、

分かりやすく、キャッチーに伝える

 

というようなことなのでしょう。

でも、そこが違う。

伝えるべきことは「味付けのバランス」でもなければ、

「名刺のサイズのバランス」でもないはずです。

そこは、面白いからと言って

比喩という名の「こじつけ」に逃げるのではなく、

本来伝えるべきことに秒数を割いて、

きちんと伝えるべきなのです。

 

広告業界で

「タグライン」「ネイキッドアイデア」という

考え方が流行りだした頃から、

こうした類の表現が増えたような気がします。

でも、本質を伝えるための「アイデア」と、

「こじつけ」とをはき違えてはいけない。

 

消費者金融のCMを見るたび、

いち制作者として、そんなことを強く思います。

 

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こじつけない(1)

 

何気なくテレビを見ていると、

やたら目にするのが消費者金融のCM

 

ほんの2~3年前までは、

「欲しいものが買えない!」

「持ち合わせがない!」

といった、消費行動をアオるようなCMが

バンバン流れていたのですが、

最近では相次ぐトラブルに対する自主規制として、

こんなメッセージが必ず謳われるようになりました。

 

「収入と支出のバランスに注意!」

「ご利用は計画的に!」

 

こういった取り組み自体は、悪いことではないと思います。

もちろん、CM自体を流すべきでないという声も

あるかとは思いますが、

スポンサーとTV局、広告代理店、

各々に「流したい」ニーズがある以上、

その中で最大限の自主規制をしよう、というのは

やむを得ない判断なのでしょう。

 

でも、CMを見ていて一つ気になることがあります。

 

それは、多くのCMが、

実際のお金の貸し借りとは

関係ないシーンを描いていること。

「バランス」や「計画性」さえ謳えばいいとばかりに、

前半どうでもいいギャグが展開される企画が、

やたら目に付くということです。

 

長くなりそうなので、続きは次回で。

 

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スイカップと差別化

 

先日、「ビックコミックスピリッツ」のグラビアに、

「スイカップ」で一世を風靡した

古瀬絵理タンが出ていました。

 

「お!」と思って立ち読みしてみたのですが、(←買え)

割となんてことはない、普通のグラビアでした。

そして、失礼ながら、こんなことを考えました。

 

「そこで勝負してはいけない!」

 

グラビアの世界には、やれ13歳だ、やれGカップだ、

やれミスマガジンだといったツワモノたちが、

ゴロゴロ転がっています。

そして、実際に水着でゴロゴロ転がっている

写真もあります。←そういう話ではない

そんな世界では、少しぐらい可愛い、胸が大きいぐらいでは、

全く目立たない。

悲しいかな、そんな現実がそこには広がっていました。

 

よくは知らないですが、

ライブドア広報の乙部さん、というのも

似たようなことだと思います。

乙部さんが初めからアイドルを目指して

デビューしていたら、

果たしてここまで話題になったでしょうか。

 

どこで勝負するか。何に価値があるのか。

これは商品や企業のポジショニング、

ブランディングを考える際にも、

すごく大事にしないといけないことだと思います。

地ビールは地ビールだからおいしい

そのことを、忘れてはいけないのだと思います。

 

と、古瀬さんの気持ちも知らないで、

とても失礼なことを書いてしまいました。

古瀬さん、申し訳ありません。

僕は、応援しています。

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アニキの言葉

 

昨日、阪神タイガースのアニキこと金本知憲選手が、

904試合連続フルイニング出場、という

とてつもない世界新記録に到達しました。

 

いち阪神ファンとして、阪神から、

これだけ偉大な選手が誕生したことを、

本当に嬉しく、誇らしく思います。

 

そして、セレモニー後の記者会見で、

彼が残したコトバがまた素敵でした。

 

いろいろなやり取りが続き、会見も終わりに近づいた頃。

記者からの

 「どうすれば休まずに試合に出続けることができるのか」

という質問に対する、アニキの答え。

 

「仕事に対する責任感、それだけだと思います。

でも息抜きも必要なんで、

一般の方も、

有給ぐらいは有効に使って欲しいですね

 

…なんと素敵なのでしょうか。

 

おそらく、会見を見ていた多くの「一般の方」は、

 

「金本もこれだけ頑張ってるんだ。

自分も負けないように頑張らないと」

 

と思ったに違いありません。

でも、そんな多くの「一般の方」に対し、アニキは

「いや、休むことも大事だよ」

と、優しく語りかけてくれたのです。

皆さんには皆さんのペースがあるから、

それを崩してまで頑張る必要はないんですよ、と。

 

これは本当に、やり遂げた人、登り詰めた人にしか、

言えないコトバだと思います。

逆に言えば、人を動かす力のあるコトバというのは、

その人自身の生き方経験に裏づけされた重みからしか、

出てこないんだなあと思いました。

 

というわけで、

私も彼の言いつけを守って、

きちんと有給を取ろうと思います。

ええ、どちらかと言えば「一般の方」なので。

 

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ワタミにありがとう

 

たまたま読んだ雑誌にいいことが書いてあったので、

忘れないうちに書き留めておこうと思いました。

 

「仕事というのは

 世の中からありがとうを集めることで、

 何をしてありがとうを集めたいか考えること

 職業選択です」

 

これは「和民」チェーンの渡邊社長の言葉なのですが、

なるほど、実に気持ちのいい考え方だなと思いました。

 

広告のお仕事をしていると、

時にこの仕事は、何のために、誰のためにやっているのだろう、

と不安になることがあったりします。

 

でもそれは、

自分たちが手掛けた商品を世の中に届けたい、と願う

クライアントさんからの「ありがとう」を集めることであり、

「面白かった」「感動した」「いい商品に出会えた」という

世の中からの「ありがとう」を集めることなんだ、

と考えてみれば、

広告という仕事をより前向きに、

捉えることができるのではないでしょうか。

 

とは言え、こうした「ありがとう」とは別の次元で

行われている仕事も、

現実にはたくさん存在します。

担当部長に当てにいくためだけの競合プレゼンなどは、

その最たるものであるような気もします。

 

でも、競合に参加するのは、

世の中の「ありがとう」をたくさん集めるチャンスを、

獲得することだと考えてみる。

そうするだけでも、気持ちの面で、

かなり報われるじゃないですか!

 

 

と、半ば自分に言い聞かせるように書いてしまいました。

この渡邊社長の言葉をいつも思い出すことで、

つまらない作業も手を抜くことなく、

頑張りたいと思います。

 

 

ちなみに、これはふと思ったことなんですが、

「ワタミ」って、単に社長の「ワタナベミキ」さんを

略した名前なんでしょうか?

 

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マンの可能性(2)

 

ペプシマンほどは知られてないかもしれませんが、

金鳥「どんと」のCMには

 

「どんとマン」

 

というキャラが存在していました。

 

これは、普通のオッサンに

白タイツを着せただけのキャラクター(実写)で、

ここまでは素人でも思いつきそうな

単純な(失礼)アイデアです。

 

ところが、ここからがプロの技。

「どんとマン」は、白タイツで街を走り回り、

あちこちでさんざん格好悪いシーンを見せたあとに一言、

子供たちにこう言い放つのです。

 

「おじさんは、こう見えても

 CGなんだよ

 

これ一つで、見事に面白くなってしまいました。

マンをあきらめなかった、

制作者の執念が勝利したのです!

 

若手プランナーが

安易にマン企画に走るのはよくないですが、

それを安易に捨ててしまうことも

また良くない場合がある。

私たちはこのことを

しっかりと肝に銘じておかなければいけません。

 

そして私もいつかは、

誰も思いつかなかった斬新なマン企画を、

世の中にデビューさせたい!

そんなことを、密かに考えていたりします。

 

ま、まずはその前に「マン禁止令」を、

何とかしてくぐり抜けないといけないのですが。

 

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マンの可能性(1)

 

企画の持ち寄りで、

若手の誰かから必ず出てくるアイデアの一つに

 

「マン」

 

があります。

 

これは「ウルトラマン」「ペプシマン」の

「マン」と同じで、

要は商品名の後ろに「マン」をくっつけて

ヒーローものにしてしまおうという、

かなり安直な企画です。

仮に商品がファンタなら「ファンタマン」

ベンツなら「ベンツマン」といった具合です。

 

ほうら、簡単。

 

そう言えばつい最近も、宝くじの広告で

「一千マン」

という企画を見かけたような気がします。

しかも、後で分かったことですが、

意外と近くで作ってました(笑)

 

ところで、このような「マン企画」は、

余りにも安直に量産されることが多いため、

クリエーティブ業界では、特に若手に対して

しばしば

 

「マン禁止令」

 

が発令されたりもします。

 

これは「ダジャレ禁止令」「宇宙人禁止令」

などと同じで、

つまり「そんな誰もが思いつくような企画を、

安易に持ってくるなという

強い戒めの意味が込められています。

 

しかし、ここでよく考えてみてください。

 

前述のペプシマンも確かに「マン」ですが、

それはCMがヒットしたのはもちろんのこと、

店頭ではペットボトルを大人買いする人が続出し、

ペプシの売り上げも大幅に増加するなど、

歴史に残る大ヒットキャンペーンとなりました。

また最近では、

サントリーの「バブルマン」

(こちらは商品名自体が「マン」ですが)、

品切れが続出するヒット商品となっています。

 

つまり何が言いたいかと言うと、

発想が安直だからと言って、

決してマンをバカにしてはいけないということです。

ありきたりなアイデアだと思われるものでも、

粘り強く掘り進めていけば

思わぬ鉱脈につながることがある

それこそがマンの持つ恐ろしさなのです。

 

その一例を、次回でご紹介したいと思います。

(つづく)

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生協の白石さん

 

マスコミの端っこにいる私にとって、

 

「生協の白石さん」

 

を読んだときの衝撃は、

本当に大きなものでした。

 

なぜか。

 

生協の白石さんは、決して有名になろうと思って、

有名になったわけではありません。

ただ、自分の職務を、自分なりの誠意で、

一生懸命にこなしていた。

それが、たまたまあのような形でブレイクしたのです。

 

マスコミに入ってくる人間は、

程度の差こそあれ、基本的には

「売れたい」

「もてはやされたい」

人たちだと思います。

少なくとも私はそうでした。

 

自分のやっている仕事が、

自分とその周りにしか認知してもらえないことが

ものすごく不安で、

とにかく、人の目に付く仕事をしたいと思った。

それが、根っこにある「志望動機」でした。

 

ところが、生協の白石さんは、

そんなこととは全く関係のないところで

一躍日本中の人気者になったどころか、

爽やかな感動すら私たちに与えてくれたのです。

何と言うか、人間としての「器」の大きさの差に、

愕然としてしまいました。

 

広告をやっている人のほとんど(特に若手)は、

「早くヒットを飛ばして有名になりたい」

と思っているでしょう。

でも、あてもなく人気者を夢見るよりは、

目の前のお仕事に、

ただ誠意を持って一生懸命に取り組んだほうが、

はるかに早く「白石さん」に近付ける。

そんなことを、思い知らされたような気がしました。

 

この仕事を9年もやって、

今ごろそんなことを言っている自分が、

少し恥ずかしいです。

とか言いながら、まだ心のどこかでは

 

「何かで一発当たらへんかな~」

 

などと考えている自分も、

いたりもするんですが。

 

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キャンペーン実施中!

 

CMプランナーを苦しめる「決まりごと」の一つに

 

「キャンペーン実施中!」

 

というものがあります。

これは、誰しもがご存知かとは思いますが、

15秒のCMで、商品の紹介が終わったあとに、

プレゼントキャンペーンの告知などが

慌しく挿入されるというものです。

 

では、何が苦しいのか。

それは他でもない「秒数」です。

 

15秒という短い時間の中で、

「キャンペーン実施中!」と叫ぶだけでも

約2秒はかかります。

さらに、CMの最後には「♪三共~」「♪グリコ」といった、

企業名を謳うサウンドロゴがついたりして、

これにも約1.5秒かかります。

「♪コ・コ・ロ も満タンに コ・ス・モ 石油♪」 だと、

それだけで6秒かかってしまいます。

 

これだけでは終わりません。

TVCMには、そのアタマとオシリに

「ノンモン」と言われる、

0.5秒ずつの無音部分を作ることが決まりとなっています。

つまり、15秒のCMと言っても、

キャンペーンなどを実施していると、

すでにあと10.5秒しか残っていない計算になるのです

 

これで、もし商品名が

 

「行列のできるお店がじっくりコトコト煮込んだ

おいしいクラムチャウダーの素」で、

「ミネストローネもね!」などと言っていると

どれだけ早く読んでも6秒はかかります。

あと残るは4.5秒。

さすがにもう何もできません。

 

そんなCMプランナーの苦悩をよそに、

今日も数々のキャンペーンが実施されています。

そろそろ私たちのほうでも、

「無駄なキャンペーンをやめてくださいキャンペーン」

実施したほうがいいのかもしれません。

 

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「感」

 

広告業界でよく使う単語の一つに

 

「感」

 

というものがあります。

 

この「感」は、「開放感」とか「存在感」といった

一般的によく使う「感」ではありません。

ありとあらゆるフレーズのあとに、

とにかく無理矢理に「感」をつけて「~である感じ」を表現すると、

ぐっと広告業界っぽくなるのです。

 

たとえば、化粧品・医薬品などの打ち合わせでは

「うるおい感」「しっとり感」「すべすべ感」「目もとキラリ感」

など、「感」を使った表現が続出します。

 

もちろん、業種が変われば「感」も変わり、

携帯電話なら「つながる感」、

料金訴求なら「おトク感」、

鉄道のダイヤ改正なら「増えた感」、

といった具合です。

 

 

そして、「感」は商品特性を表すだけに留まらず、

業界内の日常会話にまで拡がっていきます。

 

例えば、「頑張っている感じ」を「頑張っている感」。

「ちゃんと理解しているさま」を「分かってますよ感」。

「ありきたり」のような、既に存在する単語でさえ

「ありきたり感」などと無理矢理に「感」をつけて使ったりします。

 

それでは、広告業界っぽい会話の一例をお聞きください。

 

「ちょっと、シズル感が足りなくないですか?」

「いや、今回はこれでおいしさ感は伝わるから」

「でも、お得意のことを分かってますよ感がいまいち

 出てないと思うんですよね」

「分かるけど、今回大事なのはむしろ今売れてます感だから!」

 

 

コトバを生業にする人たちが、

普段このような日本語を多用している現状に、

同じ広告マンとしてはさすがに不安を覚えます。

せめてコピーライターである私たちぐらいは、

つねに正しい日本語を使ってますよ感を、

意識していたいものです。

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CMのCM

 
あけましておめでとうございます。
 

さて、いきなりですがこの年末年始、

「ハウスのカレー」「イオンの初売り」と並んで、

私がもっとも多く見たCMのひとつに

 
「Enjoy! CM」

 
キャンペーンがありました。

 
 

これは、民放連が共同で制作し、

「CMの良さをもう一度見直そう」

といったメッセージを発信している、

言わば「CMのCM」です。
 

 

タイプ数はいくつかあるようですが、

基本的にはCMキャラクターである「コマーさる君」が登場し、

最後に「Enjoy! CM」というキャッチコピーで終わります。

 
さあ、そんなCMを年末年始じっと見ていた皆さん、

今こそ声を大にして一緒に叫びましょう!

 

 
 
「そのCMでは、エンジョイできない!」

 

 
 
みんなが同じフレーズを叫んでくれたかどうかは不安ですが、

基本的には同じ思いの人が多いのではないでしょうか。

 

つまり、「CMを楽しもう!」ということを

高らかに宣言しているCM自体が、

どう考えてもすごくつまらないということです。

山下達郎の「♪コマ〜シャル」という歌声もなんだか空しく、

聞いてるこちらがサイレンナイトな感じです。

 

 
さてこの「CMのCM」、

中身も確かにつまらないのですが、

それ以上に問題なのは、

 

「Enjoy! CM」

 
というメッセージ、それ自体ではないでしょうか。

つまり、CMなんて基本的には誰も見たくないのに、

それを「Enjoy!」と押し付けることに、

そもそも無理があるのです。

 

視聴者に「Enjoy! CM」などと押し付けるのではなく、

本当にエンジョイなCMを作って、

世の中を明るくすること。

それが、私たちに課せられた使命なのではないでしょうか。

 

…そんなことを考えながら過ごした、年末年始でした。

 

 
 

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ネーミング

 
コピーライターのお仕事のひとつに

「ネーミング」

というものがあります。

 

世の中に出ている商品、

例えば飲料や車、家電製品、会社名まで、

ありとあらゆるものに「名前」をつけることが

お仕事になるわけです。

 

気になるネーミングで言えば、

やはり小林製薬の

「トイレその後に」

というのが秀逸でしょう。

その商品をいつ、どこで使うかというのが、

ネーミングを見るだけで一目瞭然です。

 

 

もし、名前が一文字変われば、

意味も全く違ってきます。

例えばこれが

「トイレどの後に?」

だと、消費者はがぜん不安になってしまうでしょう。

 

さらに

「トイレその跡に」

になってしまうと、もう遺跡ぐらいでしか

使えないことになってしまいます。

 

さて、私がいま気になっているネーミングの1つに

カゴメの

「野菜一日これ一本」

というものがあります。

 

これもネーミングとしては非常に分かりやすく、

これ一本で、一日分の野菜が摂れるんだろうなということが

おおよそ、想像できます。

実は私もコンビニで200mgの紙パックを

よく購入していたりします。

 

ところが先日、スーパーで買い物をしていて、

さすがに少し戸惑ってしまいました。

「野菜一日これ一本」の、

1リットルペットボトルが売られていたからです。

じゃあ一体、

 

「これ一本」の適切な量はいくらなんだ!

 

そんなことを、カゴメさんに言いたくもなります。

1リットルも野菜ジュースを飲むぐらいなら、

野菜を食べたほうがよほど健康的です。

 

とまあ職業柄、ついそんなことを考えてしまいました。

ただ、それでも

「野菜一日どれ一本?」

と言われるよりは、はるかに良心的なのかもしれません。

 

(追記)

後でよく見てみると、1リットルペットボトルの名前は

 

「野菜1日これ1杯

 

となっていました。

してやられた気分です。

 

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時代の半歩先

 
広告クリエーターたるや、

常に時代の半歩先を行かなくてはならないと言われます。

 

この「半歩」先という表現。とても微妙です。

 

どれだけ鋭敏な感性を持っていても、

時代から1歩も2歩も進んでいては、

世の中に受け入れてもらえないのです。

 

例えば、3年前に倖田來未のブレイクを

予想できていたとしても、

3年前に広告に起用することは、あまり現実的ではありません。

 

お茶の間もクライアント(広告主)さんも

 

 「この子誰?」

 

となるぐらいで、

おそらく大きな広告効果は期待できないでしょう。

 

 

もっと早く、例えば25年前に

ブレイクを予想できていたとしても、

まず倖田來未が生まれていません。

それに、もしそんな能力があるのなら

 

「姉歯建築士のビルは、

震度5の地震で簡単にブレイクする

 

などと予想できたほうが、

よほど世の中の役に立つというものです。

 

 

時代の「半歩」先。

この感覚を掴むことが、有名クリエーターになるには

必須の条件ではないでしょうか。

 

少なくとも、「眞鍋かをり」のブログに影響されて

今頃からブログを始める私のような人間が、

時代から2歩も3歩も遅れていることだけは

間違いなさそうです。

 

 

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