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温暖化と消費税

 

地球温暖化とか、CO2の削減といったテーマが

最近のお仕事にはよく登場するのですが、

そのたびにいつも思うのが、

 

「環境の話と、増税の話は、似ている」

 

ということです。

 

何が似ているのか。

 

環境に関するいろんな資料には、

「身近なところからCO2削減!」といった話が

しばしば登場します。

たとえば、使わない電化製品のコンセントは抜く。

冷蔵庫の開け閉めの時間は、なるべく短くする。

お風呂は、追い焚きをしなくていいよう、

家族でなるべく続けて入る。

 

1つ1つは涙ぐましいほどの小さな節約ですが、

たしかに、日本人全員がこれをやれば、

全体でみればかなりのCO2が削減できるのかもしれません。

また、こういった身近なところから

地球環境への意識を高めていくのは、

すごく大切なことでしょう。

 

でも、どこか腑に落ちない。

 

そもそも一般家庭の人たちは、

電気代とか水道代の節約のために、言われなくても

涙ぐましい努力をしてることが

ほとんどじゃないだろうか?

 

そこに対して「まだ足りないよ」というのが、

何だか年貢の取立てのようで釈然としないのが

理由の1つ。

 

そしてもう1つ、

もし今、国レベルで、もうどこからも削減できないほど

あらゆる分野で省エネに取り組んでいるなら、

何を言われても少しは納得できるのですが、

実際はもっともっと大きなところで、

CO2なんていくらでも減らすことが

できるんじゃないのか?

 

ここからは素人考えですが、

たとえば、コンビニやレストランの24時間営業を規制する。

自動販売機の数量を20~30%程度削減する。

一般車両の高速代やガソリン代を上げるなどして、

そもそもみんながなるべくクルマに乗らないよう誘導する。

ペットボトルを廃止してリターナブルびんの利用を促進する。

 

「こんなこと」が実現すれば、

おそらくは冷蔵庫のあけしめ数億回分ぐらいのCO2が、

一瞬にして削減できることでしょう。

でも、「こんなこと」をしようとすると、

いろんな団体の、いろんな利害関係が絡むので、

きっと、というかまず確実に、実現しない。

 

それで結局、削減「しやすい」ところではなく、

削減「させやすい」ところから、削減しましょうという話になる。

 

…というあたりが、「消費税増税うんぬん」の話と

すごく似ているなぁ、と思ってしまうのです。

 

 

税金の使い道で、削減できる支出はいくらでもある。

でも、それをしようとすると、

各省庁やいろんな団体の利害関係が絡んでくるので、

そこはマスコミがいくら騒いだところで、ほとんど改善されない。

それで結局、「取りやすい」ところから、

取りましょうという話になる。

 

 

一般市民が細々と暮らしている裏で、

政治家や官僚たちは利権や税金を食い物にして

甘い汁を吸っている的な論調は、

あまりにも一元的過ぎて、本当は好きではありません。

 

でも、地球の気候がおかしくなっている、

なんていう非常事態に、

いろんなムダに見て見ぬフリをしながら、

 

「冷蔵庫の開け閉めの時間を短くしましょう」

 

なんて言われてしまうと、

さすがにそれはちょっと責任転嫁が過ぎないか、

というようなことを、思わずにはいられないのです。

 

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賛否両論

たぶん、いま日本でいちばん多く

ブログに書かれている話題だろうと思います。

 

「落合の投手交代」

 

どっちの意見にも言い分はあるし、

どっちが絶対的に正しいというわけでもない。

どっちかの意見を強く主張したら、

賛成派と反対派から、嵐のように

コメントが書き込まれるのでしょう。

(このブログぐらい無名だと問題ないけど)

 

でも、そもそもなぜ、

53年ぶりの日本一、なんて時に

「賛否両論」が渦巻かないといけないのか。

 

それはやっぱり、あの場面での投手交代が、

評論家の皆さんも言うように

「常識では考えられない」ことであるから。

なぜ「常識では考えられない」のか?

それは、おそらく多くの野球ファンが、

その「続き」があることを、何の疑いもなく

心待ちにしていたから。

 

結果がどう出るかということよりも、

その瞬間に自分が立ち会えるかもしれないという興奮

みんなの心の中にあって、

それが意外な形でぷっつり途切れてしまったからこそ

「常識では考えられない」のであり、

「賛否両論」が渦巻いているのです。

 

落合監督の真意は誰にも分かりません。

たぶん、永遠に。

ものすごく邪推をすれば、

所詮2位のチームが、完全試合などという形で

パ・リーグ優勝のチームを倒して日本一になるというのは、

相手に対して失礼だと考えたのかもしれない。

でも、そうじゃないかもしれない。

 

そもそも、日本中の誰一人として、

あの時の落合監督と同じ心境になることはできないし、

それを正しいとか、間違ってるということは、

実はあまり意味がない。

そこには、誰も体験することができない

「極限」の状態に追い込まれた監督がいて、

私たちはたまたまその瞬間に、

立ち会っていたに過ぎないのです。

 

それでも、ただひとつ確かなことは、

あの場面、みんなはその「瞬間」を

待っていたということ。

待っていたからこそ、「賛否両論」が

渦巻いているのだということ。

 

そして、53年ぶりの日本一には、

「賛否両論」という

余計なおマケが付いてしまったこと。

 

それだけは、否定できない事実だと思うのです。

 

 

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