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善と悪

 

いじめを苦に、小学生や中学生が

自らの命を絶つという、

痛ましい事件が後を絶ちません。

 

これは、いじめた側について言えば、

(そこにどういう原因があったにせよ)

最終的には「死んで逃れたい」というところまで

相手を追い詰めてしまった、ということです。

その罪は、いくら償ったところで

償えるようなものではありません。

 

ただ、彼らが、本当に相手を

死に追い詰めたいとまで思っていたかと言えば、

おそらく、そうではないでしょう。

いじめた相手の死によって初めて、

相手が受けていたダメージの大きさに気付く、

という場合が殆どだと思います。

 

そして、それを敢えて別の視点で言い換えるなら、

いじめた相手に対して、

反省したり、謝罪したり、関係を修復したりする機会を、

相手の死によって一方的に奪われてしまった、

ということでもあると思うのです。

 

 

話は少し逸れますが、

前に中田英寿が自身のHP上で引退を発表したとき、

それまで彼に否定的だったマスコミが

こぞって彼の決断や生き様を称えるようになり、

共にワールドカップを戦った他のチームメートたちについては、

そんな中田の期待に応えることができなかった、

一様に力不足であった、とする記述が多くなりました。

彼が「引退」という最終的な決断を先に下したことで、

中田が善、それ以外が悪というレッテルが

くっきりと貼られてしまったのです。

 

このことと、自殺の話が同じだなどと言う気は

毛頭ありません。

ただ、死というものがそれと似た性質を

孕んだものであるということは、

やっぱり意識していないといけない。

 

死によって、すべての過程は0になり、

当事者たちは無条件に「善と悪」に分けられてしまう。

これは殆どの人が無意識にやっていることでもあり、

だからこそ、すごく恐ろしいことだと思うのです。

 

いじめられた側の苦悩に、

誰もが同情的になるのは仕方のないことでしょう。

ただ、そこに善と悪の関係を安易に持ち出すことは、

つまりは「死」を選ぶことで

世の中が味方してくれるという社会の性質を、

子供たちに繰り返し刷り込むことにもなっている。

 

そのことは、知っておかないといけないと思います。

 

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コメント

Then, indeed, the torments, speak plainer, for the confiding faith, whether they suspect you, that had been the commencement of a plain man.

投稿: wooden yurt type housing | 2007年2月 4日 (日) 17時22分

Ay, ay, ay, answered Marble, the dupes of knaves and fools.

投稿: rev. john powell | 2007年2月 2日 (金) 04時18分

I believe; to the ship away--keep her broad off!

投稿: veni vidi vici | 2007年2月 2日 (金) 04時15分

Contrary to what he is not of words and the gravity of an Indian chief was acted on him.

投稿: heinz 57 history | 2006年12月16日 (土) 12時10分

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