足し算な広告

 

みうらじゅん氏が、自らブームを起こした

いわゆる「ゆるキャラ」について、

それは基本的に“足し算的発想”で作られている、

というようなことを書いておられました。

 

たとえば、ゆるキャラの代表格である

「けんみん文化祭ひろしま」のキャラクター

「ブンカッキー」などは、

「文化」という単語に広島名産の「牡蠣」を掛け合わせ、

そのうえアタマにはモミジをあしらい、

さらに手と胴体の部分をよく見ると広島の「ひ」になっているという、

見事な“足し算的”キャラであるわけです。

で、そのような「あれもこれも足し合わせた、洗練されてなさ」こそが

ゆるキャラの魅力であると、氏は語っています。

 

さて、地方自治体のマスコットキャラクターが

このような「足し算」で出来上がってしまうのは、

たぶん、多数決による加点法的な決定プロセス

原因があるのではないかと思います。

 

たとえば、キャラAには「文化」も「牡蠣」も「モミジ」も、

さらにはに「ひ」まで入っている。

キャラBは、文化のことだけを言っている。

キャラCは、動物をモチーフにしたかわいさ優先のキャラである。

もし最終候補に残ったのがこの3体で、

そこから多数決または合議制で1体を選ぼうとすると、

間違いなく「ポイント」の多いほうが勝ってしまう。

1つのことしか言えていないキャラより、

3つ、4つのことを言えているキャラクターのほうが、

選ばれるための「より明確な理由」を持っているからです

 

そしてここから広告の話になるのですが、

実はこれと全く同じプロセスが、

広告選びの局面においてもしばしば登場する。

つまり、たくさんの「言いたいこと」を、

より器用に盛り込んでいる広告が選ばれる傾向にある

ということです。

 

たとえば、最近始まったドコモの「アンサーハウス」。

アンサーというフレームを立ち上げた延長線上で、

今度は4つの新機種のことを言わなくちゃいけない。

じゃあ、4つの部屋がある「アンサーハウス」というものを作ってしまって、

そこにそれぞれ4人のタレントを登場させ、

4つの個性を表現しましょう、ということになる。

 

このお話、確かにストーリーとしては完成しているけれど、

それが「面白いか」と言えばそうではない。

これなどまさに“足し算的発想”で作られた広告の、

最たるものじゃないかと思うわけです。

 

要素を積み上げていくだけでは、

「外人のお兄さん」も「白い犬のお父さん」も誕生しません。

そこには必ず「飛躍」が必要です。

でもその「飛躍」こそが実は広告の面白味であり、

流行りのコトバで言えば、消費者の「情報バリア」を破るための

キッカケになったりする。

それに気付かないで相変わらずデータやら何やらから

CMを作ろうとするクライアントやクリエーターが、

残念ながらまだまだたくさんいるのが現状なのです。

 

 

と言いつつも、ゆるキャラはゆるキャラで

みうらじゅん氏によって脚光を浴び、

一躍人気者になってしまいました。

その意味では、いつか“足し算CM”がブレークする日が、

来ないとも限らなかったり、するのでしょうか。

 

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小室さんは悪くない

 

いや、まあ事実としては悪いんですけど、

個人的には「仕方ないんとちゃうの?」と

思える部分もあって。

 

たとえば、ワイドショーで

「小室容疑者は一時期たいへんに羽振りが良く、

何億の寄付をしたり、何億の別荘を購入したり…」

だとか、

「最近になっても散財を続け…」

みたいな話が一通り出ると、

大抵どこかのコメンテーターが

 

「絶頂期の頃の自分から抜け出せなかったんですかね」

 

みたいなことを言うわけです。

でも、ここがちょっと違うような気がする。

 

確かに、一般庶民の良識からすれば、

「お金があるときは使えばいいけど、

ないならないで節約しなさい」ということになる。

それはまったく正しいのですが、

逆に、そんな「一般的な」感覚を持ち合わせた人が、

数年間に10作も20作もミリオンセラーを出すような人に

なれるのか?という話です。

 

彼は凡人にはない才能やセンスを持っていたからこそ、

常識外のペースで、あれだけのヒットを飛ばし続けることができた。

そこは持てはやしておきながら、

生き方については庶民と同じ感覚を求めるなんて、

はっきり言って「ムシがいい」のでは、と思ってしまうわけです。

 

たとえばイチローが変人だとかいうけれど、

確かにそうなのかもしれないけれど、

だからこそ彼は我々には想像もつかない、

超人的な成績を残し続けている。

そんな彼の日常生活の部分にだけ

一般的な常識を持ち込んでも意味がないのと同じで、

小室さんだって、急にバランス感覚を求められても

困るんじゃないかと思うのです。

 

詐欺は良くないですよ、犯罪だから。

それはもちろん厳しく責められるべきです。

でも、天才というのは

常識的な発想が及ばないから天才なのであって、

その人の行動が常軌を逸しているのは当たり前。

その異常性を、犯罪の理由みたいにしてここぞとばかり叩くのは、

やっぱりちょっとおかしいと思うのです。

本当に叩くなら、売れてるときから叩くべきであって。

 

 

話は変わりますが、自分の周りを見ても、

「すごい人」って

やっぱりちょっと変人だったりするんですね。

目付きが違ってたり、寝なくても平気だったり、

家庭がうまく行ってなかったり ←大丈夫かこの発言

 

逆に私なんかは凡人の代表で、

それ故に自分の限界も見えていたりするから、

変人の「変人性」というのは、正直どこかで羨ましかったり、

どこかでリスペクトしてたりする。

 

だからこそ、今回の報道を見ていても、どこかで

「凡人が天才に何言うとるねん」

みたいに思ってしまう自分がいて。

それはそれで、歪んだ見方なのかもしれないですけどね。

 

 

 

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赤字ではアカんのか

 

どこどこのバス路線が赤字だとか、

どこどこの市民病院が赤字だとかで、

「廃止すべき」とか「売却すべき」みたいなことが

書かれている記事を読んで、

いま一つ納得できないことがあります。

それは(タイトルに書いたままなんですが)

 

「赤字ではアカんのか?」

 

ということ。

 

だって、考えてみれば、

学校にしろ道路にしろ警察にしろ軍隊にしろ、

民間でやっても儲からない(イコール供給されない)ことを

税金を使って実現するのが国であったり、

地方公共団体だったりするわけで、

それが「儲からない」のは、

そもそも当たり前なんじゃないかと思ったりするわけです。

 

確かに、税金のムダ遣いは良くないことだし、

明らかにその後「赤字が出続ける」と分かっている道路や

公共施設なんかを造ることには、

当然、厳しいチェックが入ってしかるべきだと思います。

 

でも、いっぽうで警察や消防署が

「利益が出ない」

と言って廃止されることがないように、

必要なものは、赤字だろうが何だろうが

絶対に存続されるべきなのです。

 

で、何が言いたいかといえば

そんな立派な結論があるわけではないのですが(なんじゃそら)、

 

直接収入や経済効果で

「儲けてやろう」と思って造った道路や施設が

実は「儲からなかった」ことへのしわ寄せが、

本来「儲かる予定のない」病院やバス路線に来ているのが、

今のすべての自治体の現状であるような気がして。

それは少し違うんじゃないかなというようなことを、

素人ながらに考えてしまったりするわけです。

 

道路とかダムとか大型施設とか、

もし造らなければ造らないで、

かなりの人の生活が困窮してしまったりするのでしょうか。

だとしたら、日本ってかなり貧しい国ですよね。

 

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エコバッグより大事なこと

 

 

「スーパーに行くときはマイバッグ持参で」

 

なんてことが言われるようになって、

実際、そんな光景もごくごく自然に

目にするようになりました。

 

レジ袋の消費が減ってうれしいのは、

実は地球ではなくて

まんまとコスト削減に成功した

スーパーのほうなんじゃないかという気もするのですが、

社会全体で行動や習慣を変えていくこと自体は、

決して悪いことではないと思います。

 

ところが。

 

レジ袋の削減が進むいっぽうで、

社会的にどんどん大量生産と大量消費、

そして大量廃棄が進んでいる「ある商品」の存在が、

私としては気になって仕方ありません。

今日みたいな中途半端な天気のときは

特に活躍するアイツ、そう、

 

 

「コンビニ傘」です。

 

 

実際、私も何度もお世話になったことがあります。

夜からの雨で、傘を持って来ていなかったとき。

泊まりの出張で、出かける日はピーカンだったために

まさか傘が必要になるなんて思いもしなかったとき。

 

……そんなとき、500円とか、

場合によっては300円で買えてしまうコンビニ傘の存在は、

本当に有り難かったりするのです。

 

でも一方で、それが便利であるが故に、

夜から雨が降りそうな日でも

「サイアクの場合、コンビニで買えばいい」

と考えるようになり、

傘を持たずに出かけることが増えてしまった。

 

私だけでなく、おそらくは世の中の多くの人が、

いまこういう状態に陥っていると思うのです。

 

しかも悪いことに、

コンビニ傘はそれが安価である故に、

「貸したままなくなってしまう」、あるいは

「何本かたまった末に、めんどくさくなって捨ててしまう」

という結末を迎えることがほとんどです。

 

スーパーで消費されるレジ袋1枚と、

コンビニで消費されるカサ1本。

どちらがより環境負荷が高いかは言うまでもないでしょう。

社会全体で本当にCO2の削減を考えるなら、

コンビニ傘の大量消費こそ、

今すぐ何とかしないといけない問題なのです。

 

 

そこで提案。

コンビニでの傘の販売は、

もったいないから世の中的にやめることにする。

その代わり雨の日は、

コンビニでレジ袋を無料配布して、

それを被って帰ってもらうことにする。

 

こうすれば、環境への負荷も少なく、

なにより見た目が情けないので、

何が何でも「マイ傘」を持って歩く人が増えるはずです。

中には、コンビニでもらうのはもったいないという理由で、

「マイ袋」を持ち歩くようになる人もいるかもしれません。

これこそ、究極のエコではありませんか。

 

 

マイバッグも大いに結構。

でも、社会の空気に安易に流されることなく、

本当に環境にやさしい行動とは何かということを

もう一度冷静になって見つめ直してみることも

大切ではないかと思うのです。

 

……最後だけ真面目に締めてどうするねん。

 

 

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ありえない感情

 

広告の世界では、

しばしば以下のような

よく分からない言い回しが登場します。

 

「○○(ブランド名)は、いつも私のことを見てくれているんだ」

「○○は、いつも私の側で、私を応援してくれるブランドなんだ」

「私の毎日を、○○はいつもどこかで、支えてくれているんだ」

 

……こういう感情を消費者に抱いてもらうことで、

そのブランドのファンになってもらうこと。

これこそが、本広告の目的です!

 

プレゼンにしばしば登場するこうしたやり取りは、

ふんふんと納得されるか、

何となく聞き流されてしまうかのどちらかなのですが、

でも、冷静になって考えてみてください。

 

これまでの人生で、

何らかの商品に対して、

そんな感情を抱いたことがありますか?

 

「ポッキーは、いつも私のことを見てくれているんだ」

「ドコモは、いつも私の側で、私を応援してくれるブランドなんだ」

「私の毎日を、花王はいつもどこかで、支えてくれているんだ」

(※ここで使ったブランド名は適当です)

 

もし、本当にそんなことを考えながら生きている

女子高生や主婦がいたら、

その人はかなり気持ち悪い人です。

 

しかもその人が目にする広告が

たまたま「一業種一社」ならいいですが、

もし同じ日にドコモと、auと、ソフトバンクの広告を見てしまうと、

 

「ドコモだけでなく、auも、ソフトバンクも

いつも私の側で、私を応援してくれるブランドなんだ」

 

ということになり、

結局は広告をやる意味がなかったことになってしまいます。

 

普通に考えたらおかしなことが、

なぜか「もっともらしい話」として流通してしまう。

これが、広告という世界の奇妙なところです。

 

そもそも、誰かに対してそんな意識付けができるなら、

まずはじめにクライアントに対して

 

「電通は、いつも私のことを見てくれているんだ」

「私の毎日を、博報堂はいつもどこかで、支えてくれているんだ」

 

と思わせてしまえば、

余計な競合プレゼンもなくなって

いちばんいいんじゃないかと思うのですが。

 

 

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